6月16日の日記

2012年6月16日 日常
違法ダウンロード刑事罰化の次は
児童ポルノ禁止法改正案の可能性、
2次元の所持禁止の話があるみたいなので、
スウェーデンでは問題無しという判決出たようですが、
独自路線のこの国はわからんので

浮世絵の画集を観ていて思ったんだけど、江戸時代の春画って
児童ポルノの単純所持や二次元の規制が厳しくなったらアウトじゃないのかな?
江戸時代って20歳代なら年増と呼ばれてたみたいだから。
改正されたら見れなくなるのかな?
鳥居清長、葛飾北斎、喜多川歌麿などの一流作家の作品でも規制されるのかな
それとも有名な作家やモデルの年齢が判らないから、OKってなるのかしら
それとも芸術性云々で線引きするのかな?(でも芸術性どうのこうの胡散臭い気がしますしなあ)
川合玉堂や竹内栖鳳みたいな所謂端正、綺麗、国にとって、都合が良いだけが芸術じゃないと思いますが。端正綺麗はただの個人の好みだと思いますが、

上記のはそれでOKかもしれないけど、もっと微妙な稚児之草紙なんかはどうするんだろう。どう解釈しても駄目な気がしますけど。
そういうの持ってる。醍醐寺って今後どうするんでしょう。
どっか美術館や研究機関に寄付するんでしょうか?それともグレーゾーンのまま存在し続けるのでしょうか?
国のさじ加減でなんとなくお目こぼし的セーフやその時の事情でアウトいうのは、
良く無いと思いますが、寺はまだいいけど
商売してる骨董商、古本屋、浮世絵研究家はどうするんだろう。
そういうの載ってる本持ってる図書館は?業界団体でロービー活動するんでしょうか。

4月15日の日記

2012年4月15日 日常
ダウンロード刑事罰化で話がありますが
これって本当に強化する必要性理由ってあるんでしょうか。
フランスみたいに三振法導入するための悪い前フリ?
CDや映画の売り上げの低下のためだけに
違法ダウンロード刑事罰化には基本的人権や表現の自由、情報の自由などが絡むので
個人的にはCDや映画の売り上げの低下より基本的人権や表現の自由、情報の自由などが重要だと思うので反対です。
今でさえDRMやアクセスコントールや私的録音・録画補償金制度など日本は厳しいのに
また実施してもダウンロード刑事罰化してるドイツの例を、ZDFなどのニュースで観てたら、
(actaを欧州人権裁判所に付託する絡みなども含めて)
必ずしも規制が購買につながってないとありますが、その辺はどういう風にレコード会社は思っているんでしょうか、またダウンロード刑事罰化後、告発件数が多くて検察、警察、混乱してるというニュースもありましたが、この辺日本の国は対応できるのでしょうか。
障害者郵便制度悪用事件の様に証拠の改ざんやおとり捜査の可能性も
政治家はどう思っているんでしょうか。
弁護士だけ儲かる気が

違法なダウンロードは問題だけど
刑事罰化するまでにやることがあるんでないの。と思います。
そんなことせずしたら国民生活に大きな迷惑、
個人の自由に国家の介入し易くする程の事か、もっと慎重にと思いますが

それにもう一度ダウンロード違法化で法改正してるんですから、
その法律の運用。著作権法や不正競争防止法でまず対応せえよ
ACCS解除で、アウトなんだから。若しくは賠償金目的なら民事で別個で争ったら。
刑事罰つけるまでに、まず業界としても出来ることがあるんじゃいのと思いますが、

例えば児童ポルノフィルターみたいに、これ自体大きな議論ありますが、通信の秘密の問題はありますが
リスト作ってアクセスさせないなんていうのは無理なんでしょうか、違法ダウンロードが駄目って言うなら
動画、音楽ファイルはflac.mp3.wav.iso形式ビットレートといろいろありますが、
でも児童ポルノみたいに線引きや定義は出来るんですから、音楽ファイルや動画ファイルは
サイズと形式と名前でフィルター作ってプロバイダーで弾いてもらうとか、(どのファイルが対象かは、リストして公開するとかして)
そういうのは無理なんでしょうか?着うたなどの問題ならDRMをつけなかったら、作動しないようにするとか、

もっと簡単なら合法、非合法識別できるマーク考えるとか、P2Pを弾くとか
いきなり議論も無しに法改正して罰則より市民生活にずっと影響は少ないし
着実にはじけると思いますが、業界努力せえよと思いますが。順序的に

業界努力を実施するために法改正してというなら、判りますが
いきなり7000億円の被害受けてるから(この統計の取り方や金額にも問題ありと思いますが)
内閣提出法案で決定はひどすぎると思いますが、何も議論無しに

あとレコード会社や映画会社は罰則化したら被害金額の7000億円
全部が自分たちの懐に入ると思ってるんでしょうか?
そんな事は絶対無いと思います。
よくいわれるCDの売り上げ低下とはあまり関係ないような・・・
(クラ好きやJAZZ好きは常時購入する気がしますが)

ちなみ私の去年のCD購入金額は、(今年はまだ購入してません。ルービンシュタイン堪能中)
とりあえずEMIのオイストラフのBOXと
ルービンシュタインのBOX、ホロビッツのDGBOXで
(あと版権切れのグルダ、リヒテル、メニューインのBOXも購入の記憶あり)
最低2万は超えてますが、
入手数は180枚前後でCD一枚あたりの価格的は一枚単価は200円切ってる。
ちなみに全部輸入版ですな。CDの値段の安さの方が売り上げ低下に繋がってる気がしますが、
レコード会社はその辺の事はどういう風に思ってるんでしょう。
多少CDの値段上げても良いと思いますが、ダウンロード刑事罰化しないなら

なんか書き始めた時はさほど思いません出したが、
ダウンロード刑事罰化で影響あるだろうなあ思える事と被害金額がどうのこうのでは、
まったく話の重要性で合わないと思いますが、
ちゅうかとりあえずダウンロードしなくちゃ、インターネットは利用できないんだから、
その辺の重要性をもっと考えるべきでは、今回は音楽、動画だけど、拡大されて
画像やテキストも含めると思うと
違法なダウンロードは問題だけど、本当に取りしまり方や範囲
、取り締まる法律はもっと慎重に話し合って決めないと誰でも引っ掛かる。
恐れのある事になるんじゃないのと思いますが・・・
法案提出した人この法案で利益を受けてる人は、どういう風に考えてるんでしょう?
あと一時話題だったフェアユースの話はどこへ消えたんだろ。

4月2日の日記

2011年4月2日 日常
原子力発電所のニュースを観ていて思い出したんだけど
、去年あったメキシコ湾原油流出の時に
石油業界と監督する側の内務省が癒着してるというニュースが
あったけど、
経済産業省と原子力発電関連の会社が癒着してるという事はないのかな?
そういう報告書って今後製作させるのかなぁ
それとメキシコ湾原油流出あとBPの株が下がって州の職員退職年金基金や大学の基金や企業年金
確定拠出年金が駄目になった話しがありましたが、
日本の場合はどうなんだろう?
どれぐらい目減りしてるんだろう?その場合って保証ってあるのかなぁ?不動産信託とかもどうなるんだろう?

あと福島原発作業員の方の顔が見えないのは何故なんでしょう?
テロ対策で守秘義務なのか、そんなのとは関係なしに守秘義務があるのでしょうか?
それとも今後差別を受けるとかの理由で報道規制とかしてるのかな?ただこの目にみえない感は本当に不思議。
それと原発作業員は今後国家資格化とか専門学校で勉強しないといけないとか、
そういう方向には話は進まないのかな?
今ってどうなんだろう。電力会社に入ってからしかそういう技術や知識って身につけられないのかな?


4月6日の日記

2010年3月29日 日常
亀田ポンサクレック戦の感想でも、

今回採点表などを付けずに観たのであしからず、

勝者のポンサクレック側から観ると巧かったですね。
1ラウンドが、もつれ合った展開だったので、このまま行くのかなぁと思っていましたが、
2ラウンド以降積極的に攻めていって、勢いそのままに、勝ったという印象ですね。

特に印象に残ってるのは序盤のいきなりの左ストレート。
2~3ラウンドはこれが良く当たったのではないでしょうか。
右ガードの低い顔を良く当ててたと思います。
4~5回から修正してきたのか、当たらなくなったけど。
このパンチを打っていたから、数は多いとは思いませんが。
上下の打ち分けや、ガードの中央打ち破るパンチ、アッパーなどが
効いたのではないでしょうか。
プレッシャーの掛け方も巧かったですね。
パンチをガンガン打っていく物凄い厳しい感じではありませんが。
足運びの巧さなんでしょうか。
あと自分が打ち終わった後の相手のカウンターの避け方
右へ右へいく、ディフェンスも巧かったです。
しいて言えば、攻める時の動きが直線過ぎる気がしましたが。
勝ったので問題ないでしょう

亀田側から観たら、作戦的にまずかった気がしますね。
若いんですから、もっとスピードで勝負する。
足使ってジャブ打つ離れる。とかそういう試合運びは出来なかったんでしょうか。
ポンサクレックは前に出て来てたから、そういう戦いもアリだと思いましたが
待ちに出て特になる。試合では無かったと思います。
序盤でカウンター取るのが難しいと思った時に、
作戦変更とかは無かったのでしょうか。
若しくは接近戦に持ち込むとか、中途半端な距離にいるより
ジャブで出鼻をもっと打つとか、左右に回り込むとか

この辺エキサイトマッチだと両者の側から解説者がどうしたらいいかと
アドバイスしてくれますが、おなか一杯になるくらい
TBSは不親切、満足度低いです。

まとめに入りますが、試合振り返るとだらだらした展開だと思いましたが、
今振り返るとポンサクレックの巧さだったのかもしれません。
一発強烈なパンチは無かったけど、試合運びの巧さという面では
あったなぁという試合だったのではないでしょうか。

15

2010年2月15日 日常
久しぶりの日記ですが、
書かない間に色々ありましたね。

NFLシーズンの終了。
ワーナーの引退。もう個人的には次誰応援したらいいのという感じですね。
ラムズが強かった頃の、HC、QB、RB、みんな引退してしまいましたよ。
ぽかーんですよ。暫く喪失感が続き様な気がします。
ワーナーはデビューしたのが遅かったのと放浪の時代があったので、
何となく評価が低い気がしますが
MVPを2回スーパーボールに3回出場してその内一回は制覇してるんですから、
言われてるほどは悪くないと思いますよ。

来シーズンは何かを探すのが目標ですね。応援できる選手を
カーディナルスはワーナーの後どうなるんでしょう。
ライナートで2シーズンぐらい様子見て駄目なら、次の選手探すのか



オリンピックの開幕、しかし個人的にメイン競技の
アイスホッケーの男子情報未だに情報収集出来ず
誰が出場するのか判らない?
放送するのかどうかも不明。
どちらにしても順調なら、ロシア、アメリカ、カナダ、チェコ、スウェーデン。
辺りの争いになるのかな?

あと民主党の政治資金のゴタゴタを観ていて思ったのは、
結局一番重要なのは、個別で小沢や鳩山の追求するよりかは、
今まで戦後何十年間もこういう事件起こってるにも関わらず
未だに起こる。リクルート事件やら、ロッキード事件やら

でも法的に抜け穴がある。若しくは規制できてない
にもかかわらずじゃあ、規制しましょう。
法律作りましょう。という話にならないのが不思議。
もっと自分の首を絞めいと思いますが
観てると自分の首だけあってなかなか絞めれませんね。

12月31日の日記

2009年12月31日 日常
今年ももうじき終えますが、振り返ってみて
日記はあまり書きませんでしたね。
美術館ネタが無いというか。

近郊の美術館は数を通ってるので、常設展の数が多いので
前観たのと一緒ではなかなか難しいですね。
特に絵は。違う印象持つ場合もありますが。それだけでは限度もありますから。
でも徽宗の絵を観たりカラバジョ観たりミケランジェロ観たり色々ありました。
トータルで考えれば観たほうじゃないでしょうか?
というか今年は茶道具は数を観たんじゃないでしょうか?
茶碗から棚まで幅広く。
あと能面や能装束にも興味持ってみたり、
ただこれだという強烈な一品は無かった気がします。
良いのは色々観ましたが、
あと今年政権変わりましたが、美術館の運営方法や館長の人選にも
影響あるのかなと思いますが、来年以降の話かな?
台湾の故宮博物館はそれで変わったと聞きましたが、
日本は国直轄ではなく、独立行政法人という中途半端な感じだから、思いのほか影響ない?
台湾ほど国の威信と国立博物館とはあまり関係ないから

読書の方は今年の前半ですが、土佐日記や今物語読んだりして少し古典を読んでみたり、(より茶道具を理解するために)
後半はマカーマートと格闘中ですが、
あと最近気づいたのは遠藤周作は、ネタは下世話や下品な話を書いていても上品。そして知性を感じる
それと困っている人、悩んでる人には、凄く優しい。
やっぱり好きだなと

あと私生活では祖母が亡くなった後のゴタゴタなどで急がしかったですね。
今年は兄弟仲悪いというのはやっぱり良くないなと思う。
今日この頃です
亡くなったと言えばレヴィ・ストロースが死んだのが個人的にショック。

レヴィ・ストロースは構造主義として語られますが、
でも実際には彼の検証方法がそう呼ばれるだけであって、
活動はなんになるだろう。やっぱし文化人類学者?それと神話の研究家かな?
レヴィ・ストロースは構造主義とセットで語られますが。
個別の研究内容は、あまり触れられない。解説本がないのは、何故でしょうと。神話学者としての彼の実績はと思う今日この頃であります

12月27日の日記

2007年12月27日 日常
今年良かったものを

音楽はClifford BrownとJacqueline du PreとNiels-Henning PedersenとJascha Heifetz

Clifford Brownは私のトランペンット嫌いを治してくれました。
バラードもテンポの速い曲もどちらもいけて
テンポの速い曲では演奏スタイルがやや古くも感じます。
あときちっとしすぎてる感がありますが、
崩すともっと面白いと思います。
(この辺りはあと数年生きていたら変わったんでしょう。)
それでも非常に魅力溢れるプレイヤーには変わりありません。
バラードとかWith Stringsは時代を感じません。
テンポの速い曲から入ったので、聴いたときにはこんな風にも出来るのかと巧さと綺麗さに脱帽
早死にしてるのでアルバム数少ないのが残念ですが

Jacqueline du Preはアルバムを2〜3つ買うと
EMIからお得なボックスが出るという財布に寂しい事件が起こりましたが、
トータルではボックスで買えて非常に得でした。
演奏がハイピッチというか、テンション高くていいですね。
激情という感じでしょうか、若さに乗ってるというか。
大雑把と捉える人もいるかもしれませんが、
私はそれを削ると魅力が減るんじゃないでしょうか
じっくりしたスタイルも聴いてみたい気もしますが、

Niels-Henning Pedersenは
バンバン嫌味なくらい音が次から次へ出てきて良い。
もうちょっと落ち着いて演奏してと思う時もありますが、
Joe Pasとの競演盤の様な少数でやるためには、
またOscar Petersonの様な音の多い人とやるためには
これくらい必要なんじゃないでしょうか
個人的にはDidier Lockwoodとの競演盤もあるようなので、
そちらが楽しみ。
Grappelliとの違いは如何ほど

Jascha Heifetzは音色が好きかどうか分かれると思いますが、
でも音色が崩れない技術は凄いと思います。
どんなテンポで弾いても
どの曲聞いても、Heifetzと判る。音のイメージはピンと張ったロープの様な感じかな?
それが、ポンポン飛んできて曲を捌いていく感じですね。
Novacekの無窮動とか聴いてみたい
何を聞いてもHeifetzだなと思う強い個性の持ち主だと思います。
その代わり、その音色は好き嫌い激しいと思いますが、

美術関係はクリムト、応挙、ファベルジ、(上記3つはいずれも売り物)佐野長寛、古雲鶴疋田筒で

本はクラフト エヴィング商會、装丁が良くて内容も今までに読んだ事のないタイプの本で、面白かったです。こんな本もありかいと吉田篤弘名義のも良かったです。

まあこんな感じでしょうか?
趣味的には、変わらなかった気がします。相変わらず
本と落款、漆芸は若干変わった気がしますが、泉屋博古館のコレクションや原羊遊斎、佐野長寛の作品を観たりして
ただ今年は絵を観た回数が少なかった気がしますね。
ネットでは結構見ましたが実物を観る機会が・・・
特に古い絵の、もう少し行けば良かったと思います

5月2日の日記

2007年5月2日 日常
もう二週間ほど前の事ですが、
このままでは花見をするまでに花が散ってしまうと思い
その日たまたま暇が出来たので
夕方に嵐山まで桜を見ながらぶらぶらしながら思ったのですが
嵐山というのは不思議な土地ですね。
5時を回ると急に人が居なくなり、ゴーストタウンかというくらい
一時間前まで人が人が大勢に居たのに、
急にがらんとして、
観光地ならどこでもそうなのかもしれませんが、

あと中ノ島公園まで、行こうと渡月橋を渡って
フッと嵐山中ノ島から夕暮れの景色を観た時気付いたのですが
中ノ島から見る周辺の山並みは、応挙の写生帳の風景とまったく一緒ですね。周りの風景は屋台が出てたりビルがあったり都市化してるので違うかもしれませんが、
この景色に気付いた時、
200年以上前の人が描いた同じ景色が自分の目の前にあって
だからああいう風に描いたんだと理解できて、
感覚的には過去と出会えた様な不思議な感覚になりました。
実際には200年前以上前の事ですから、過去に体験した事など
あり得ないのですが、
この時思ったのですが、絵を観た時の面白さはその時だけでなく
後にもあるなと思いました。
今回の様な経験の様に、私は絵を観てるとたまに、
その絵を描いた人の様にモノを眺めてみたいと思いますが、
実際には不可能な事ですが、美的感覚や見え方というのは
しかし写実的な表現をする画家なら、
まったく同じは不可能でも、観る側の思い込みなのかもしれませんが、ある程度は見出せるのではと思いました。

それともこの経験は、画家が描いた景色に出会えただけで、
実際には共有などしてないのだろうか。
恐らく後者だと思うけど、でも非常に面白い、不思議な経験でした。見た絵と同じ景色が目の前にあるというのは

以後話が上記とぶっ飛びますが
この後しばらく景色の考え事をして思ったのですが、
今回の場合は景色でしたが、過去を体験するというのが
もしもこれが物だったらどうなんだろうと考えてしまいます。
私の様に景色の場合なら、特に何もありませんが、感動ぐらいしか
それがもしも来歴が素晴らしいもの、若しくは重要と考えられるもの例えば三種の神器や印章、指輪、宝石、一部の茶道具、には
それを所有する事による物の継承(また所有欲、権力の誇示、美しさによるもの以外に)というだけでなく、それを使っていた人の権威なんかも継承されるのではと思いました。
(実務的な能力は別ですが)
多分血脈による主張だけでは、判り難いから?成り上がりの場合だとそれも厳しい?
物が移動する方が即物的で眼に見えて確認出来るからではと
物がなぜその様な権威を持つかと言うのは不思議な所ですが
(それは以前の所有者が保障するんでしょうか?
若しくは入手困難なものを所有する事が地位を保証してる?)
冷静に考えればそんな事は絶対無いのですが、それを所有してる事により所有者が偉く見える様な錯覚に捉われるのは何故なんでしょう?

7月21日の日記

2006年7月21日 日常
また随分日記書くのに日数が空きましたね。
なんか前と同じ生活のペースを送ってるはずなんなんですが
忙しいというか気持ちが落ち着かないというか、
日記を書く時間がありませんでした。

そんな事は置いといて、いきなりでなんですが
イスラエル、レバノンが荒れに荒れてますが、
テレビで観てて思うのですが
ただヒズボラがイスラエル兵を拉致しただけという捉え方で良いのか?違うのなら仕掛けたのはヒズボラ、イスラエル?
若しくは後ろにいるシリア、イラン,アメリカ?
シリア、イランがいるという説はイスラエルの陰謀説?
政治絡みのイスラエルの領土を確保するための行動?
近年の入植地の開放政策の影響?
与党が国民の支持欲しいからイスラエルは男女共に国民全てに兵役があるのでその辺で国民感情を煽っている?
(逆説的にヒズボラにもこの可能性がある?)
若しくは武器の実験?武器の使用期限が近いとか?
それとも石油価格が関係?
うーん複雑この手のニュースは見方が難しい、
毎度の事ながら読めませんね。
報道は
イスラエル寄りなのか、レバノン寄りなのか、
若しくは第三国寄りのか
国は関係無く攻撃に困ってる人達の立場に立ってのか
でも果たしてそれでその人たちは救われるのだろうか、
やはり政治と言う大きな力が必要なのでは・・・
また困ってる人たちを写すというのは、
ひねくれた見方かもしれませんが
だたのお涙頂戴の視聴率戦争の一環の一部ではないかという気がしないでもないし政治的の難しい部分を避けお手軽に視聴率奪える
さわりだけという可能性も

後日本では海外のBBCやABCほど熱心に報道されませんね
。何故なんでしょう?
日本の視聴者の興味の無さ?それは文化的背景の違い?主に宗教?バカンス地でないから?
若しくは日本のテレビ局が事故を恐れて特派員を派遣しないから?レポートの質が低いから
(テレビの役割はニュースに付加価値を付ける事に意味があると思うのですがどうなんでしょう。視聴者に興味を持たすというのを、日本のテレビ局に求めちゃダメなんでしょうか)
それともやにこい宗教政治問題に意図的に避けようとしていて
実は賢いやり方?

日本との中東地域との地理的距離が影響?自国内でのユダヤ人イスラム教徒の多さが関係?移民政策の影響?
9.11以降からのイスラム対その他宗教という流れの一つで再評価?
それとも旧植民地政策の後処理の流れの一環
もっと古く考えるならリチャード1世の頃からの十字軍信仰以来の伝統?似たような路線でオリエンタリズムの名残?
中東地域には惹きつける魅力がある?
それは文化的背景が関係?主にキリスト教の?。
う〜ん、適当に思いつく限り羅列してみましたが複雑で興味深いですね。
日本人が中東方面にあまり興味を持たないのか?(お涙ちょうだい的な興味も含む)
また日本のテレビ局は例えばセルビア紛争の時のセルビアやイラクに記者を派遣しないのかというのと
何故BBCやABCは日本と比較すると異常に中東方面に興味持つのかというのは、政治や経済でも考えられそうですし、
また文化や宗教と言った面でも考えれそうで、
本を読むなりして調べたいですが、
誰かこういう問題の構造を分析してくれないかなぁ・・・
久しぶりにIbn Battūtaの大旅行記を読んで中東方面に興味ありありなので、まっどっちにしてもそんな時間は無さそうな感じですが、では又

7月11日の日記

2006年7月11日 日常
J・P・モントーヤがNASCARへの転向を発表していますね。
まぁここ2シーズンくらい成績が悪かったですから、
今回の発表はしょうがないのかもしれませんが
残念です。CARTのデビュー戦から彼の事を知ってる者としては、F1でもチャンピオンになれると思っていたのに
個人的には今回のナスカー発表は早い気がしますね。
もう数シーズンF1でも続けられると思いますが
彼は今まで勝てるチームのマシンにしか乗ってませんから、
CART時代はターゲット・チップガナッシ 、
F1はウィリアムズ、マクラーレンと
2流チームの勝てない所でやるなら別の団体でも良いから
勝てる所に移ろうという発想なんじゃないでしょうか、
ナスカーの所属先もCART時代に所属してたガナッシだし
それにNASCARの方が稼げるだろうし
彼の昔の事を思い出しながら思ったのですが、
彼は優勝回数は少ないかもしれませんが、
記憶に残るドライバーですね。
個人的に思い入れがあるというのも理由かもしれませんが
CARTのデビュー戦のレースでいきなり勝ったり、
インディ500で勝ったり
モナコで勝ったり、M・シューマッハと言い合ったりと
今となっては全て懐かしい思い出ですね。
あの荒い攻撃的な走りが
私にとってJ・P・モントーヤはF1を見るきっかけをを与えてくれた選手なのでそんな彼が去るというのはちょっとショックです
残りのシーズン彼が走るレースを大切に見たいと思います。

話は変わりますが五十嵐一氏の殺害事件が時効を向かえていますが、世間的にはこの五十嵐一は悪魔の詩の翻訳者かもしれませんが、個人的には中世アラブ史上最高の哲学者にして医者兼科学者のイブン・スィーナーの医学典範の翻訳者なんですよね。
医学典範を前に読もうと思った際に、探してもなかなか見つからず、図書館で探して借りてきたのはいいけど分厚く非常に内容が難しく、(でも非常に良い本だったと覚えています。ただの古典の
翻訳という要素だけでなく興味を持てば医学的にも使えるように、
なっていて。)
ガレノスやヒポクラテスのギリシャの医学、及び哲学の知識、
アーユルヴェーの知識が無いと読むのは無理だと100ページぐらいで断念したという懐かしい思い出がありますが

確かこの本の前説に、最低第一部は全て翻訳して出版したい、
この本の2冊目を現在翻訳中と書いてあったと思うのですが、
今この原稿どうなったんでしょう?
今現在出版の話はまったく聞かないし散逸しちゃったんでしょうか?
それとも、学会誌とかで発表されてるのでしょうか?
この五十嵐一の殺害は世間的には謎なテロリズムっぽい殺人という要素でしか注目されませんが、
元々少数派の学問ですからしょうがないのかもしれませんが、
でも日本での中東地区の学問の発展、本の翻訳では大きな痛手になってるのではないでしょうか?
ただでさえ貴重な日本人のイスラム専門の学者でしかも文化とか
歴史ではなくよりマニアな科学分野が出来る
五十嵐一が生きていれば今もっと本が翻訳され大勢の人ではないけれどでも物凄くこういうのに興味を持つ人には役に立っただろうとまた学術的な発展があったと思うと残念でなりません。
五十嵐一氏にご冥福を

体力勝負

2006年6月17日 日常
この前の日記を書いたら、美術館へ行こうとか行っていましたが、
未だに行ってません。なんか急速に観る気がなくなって、
観てもいい気がしないでもないのですが・・・
その代わり図書館で美術書を借りて絵を観ています、
(主に中国の画家のヤツを)
今はなんか一度に絵を観すぎて頭の中色んな絵でゴチャゴチャしててわけわからん状態です。
そんな中判ったのは趙之謙が比較的近代の人だったと言うのと
斉白石のは非常に職人的、中には巧いと思えるのがありますが、
でも同時に描き慣れすぎてて面白みがない気がするが気のせい?
董其昌の絵は元末四大家と比べると非常に斬新というくらいで
他はどれも一緒に見えるというか眼がおかしくなりそうな感じ
そんな中思った事ですが

美術書って体力勝負

というのは読むのに体力がいると言う意味では無く、
持ち運ぶに体力いると言う意味です。
高齢者や体力が無い人は本棚から本が取り出せず観るのが重いんだろうというくらい重いです。
多分腕の高さから足に落とすと間違いなく骨折します
本取り出すまでが一苦労、もうちょっと考えて分けて発行するかどうにかしてくれという感じです。
そしてそういう本何故か図書館では貸し出し禁止です。
そういう本こそ家でじっくり観たいのに、
あと一冊なら軽く扱えるので油断して時代順に追って
6〜7冊ぐらい借りると
おぉ重い、このまま直帰しないといけないという重さになりますね。(10キロ以上のモノを背負って歩く根性は私には無い)
そして次の日は肩こりがやってきます。
本を観て肩こりするんでは無く読む段階の本を借りて肩こりする。
私に体力無いのか、本が重いのかどちらなんでしょう?
美術書の重さってどうにかならいんでしょうか?
例えばネットで配信するとか、
(著作権的厳しい?パソコンによっては画面が小さいからダメ?)
本の表装やカバーは出来る限り軽く作るとか
(本が安物に見える?耐久性に問題が出てくる)
どうにかして欲しいものです。

5月13日の日記

2006年5月13日 日常
最近本を読むことが多いのですが、
読んでてふと思ったのですが、
私の本の選択や趣味の問題も在ると思いますが、
ジャンルは全然関係無いのですが、
読んでる本読んでる本に
レヴィ・ストロースの構造主義が出てきて、
流行なのか、レヴィ・ストロースが偉大なのかどちらだ?
今までのヨーロッパ的な考え方や認識方法ににツッコミを入れてるのですがそこは良いのですが、
これ自身素晴らしいことだと思うけどじゃあその独自の非ヨーロッパ的な考えでその構造を分析出来てるかと言うと、
私の知識的な問題もあるんでしょうけど。
分析できてない気がするんですが・・・
あと構造主義はある意味民族主義や原理主義に使われる可能性がある気もしますし構造主義自体がヨーロッパ的な考えの可能性、
また構造主義で得られた知識で他を測ろうとした際、
それは上記のごり押しと同じなのではという気がします。
レヴィ・ストロースの著作にはそういうのを感じませんが、
最近読んでる本にはそこまでの精度が無いがします。

そんな事を思いつつジャポニズム関係の本を読んでいるのですが
日本美術の(工芸、様式、建築を含む)
西洋への影響や画家個人ゴッホやクリムトやモネなど
共和主義との結びつきなど興味深かったのですが、
それで思ったのですがじゃあジャポニズムから生まれた、
そういう思想や美術品に、日本はどういう影響を受けたのだろうと?それに日本的なモノを認めず純粋に西洋美術として認識したのか、それとも日本の美術品の影響を認めた上で認識したのか、
そういう作品を好んだのか、否定したのか(多分前者だと思いますが)ジャポニズムに影響を受けた西洋の作家が作った作品を
日本人作家はどういう風に影響を受けたのか?
現代でもどうなのか?
現在印象派の作品が日本で人気があるのは日本的なモノを感じるからなのか?とそんな事を考えています。

5月4日の日記

2006年5月4日 日常
随分日記を書いてませんでしたね。
先月は花粉症で美術館に行かなかったので
ネタも無かったし毎月行ってた国立博物館へも先月は行けなかったしゴールデンウィークもフンデルトヴァッサー展に行こうと思いましたが混んでそうなので行ってないし
他は散髪に行ったぐらいで特に予定が無い
散髪に行く道中暑さに当たったのか、体が熱くなり、気持ち悪くなるというイベントはありましたが、
思うのですが、散髪屋に行く前は気が重いのは私だけでしょうか?
何を話したら良いだろうとか、
二人で向かい合って切って貰う間の沈黙と微妙な空気は非常に耐え難いので、多少の地雷を踏む覚悟で踏み込む事にしてますが、
前の私の美容師さん曰く
お客さんでも喋りかけて良いのか、喋りかけたらダメなのか
判らないので、難しいと言う事ので、私は沈黙が辛いので
最初に喋りかけてツッコンで欲しいというのをアピールする事にしてます。
ちなみに失敗した際は何故ツッコンでしまったんだと枕を涙を濡らします。
前みたいに仲良くなり過ぎて、店の売り上げがどうとか、
彼女のお父さんが結婚に反対してて結婚できないとか
バイトに来ないとかそういう相談されても困りますが
相談屋とちゃうちゅうねん。
それだったら髪切りに行ったらこちらがお金貰わないと

他は家で咲いてる牡丹の写真を撮ったぐらいで
(どうでもいいけど白の牡丹取るのって凄く難しい、桜もそうだけど白の中にあるごく薄いピンクが出ない)
結構ひきこもり気味な日常を送ってます。

そんな日常で思い出した馬鹿話を一つ

家族になんか話ないんと聴いたところ
近所の画材屋さんに絵の具を買い行った際店のおばちゃんに、
他の岩絵の具は揃ってるのに
青は何故無いのか疑問に思いおばちゃんに、
何で青は置いてないのと聞いたら、
近所のやくざが買いに来るから、
普通の客が寄り付かなくなるから置かないと
聴いた時はぁ〜なんのこっちゃ判らなかったけど
私は一瞬山本集みたいな日本画が趣味のやくざが居て部下に買いに来させてるのか思ったのですが

詳しく聴くとあくまで店のおばちゃんの話ですが
藍銅鉱やラピスラズリが原料の天然の岩絵具は刺青を入れる際の
顔料になるとかで、やくざが来るらしい、
じゃあコバルトが使われてるのにしたらと言ったら
それだったらやくざは買いに来ないし、絵の具を買い求めてくる人は買えるしと言ったら
私の体に悪いから嫌だから、置かないと。

その話を聞き終えた際に、今度は逆に私になんかないんと問われて
その日、牡丹の写真撮っていたのと、この刺青の話を聴いて思い出した。
やくざは何故唐獅子牡丹の刺青を入れるのかという話

唐獅子の単に迫力がある組み合わせでなく
仏教的に牡丹を仏陀とし唐獅子を仏陀を守る母の麻耶で
だから危険から守ってくれる
そういう象徴的な意味があるのではないかというのと

それともう一つ唐獅子って仏教的には文殊菩薩の乗り物じゃないですか、その文殊菩薩は単独でも信仰される事もありますが
(確か髪の毛に増益、愛敬、調伏、息災などの意味があってそれにあやかるのと)
もう一つは本来は文殊菩薩、普賢菩薩と釈迦如来を足して釈迦三尊
若しくは普賢菩薩、文殊菩薩のペアで信仰されることがあって
その中の普賢菩薩は慈悲の象徴の意味があり
だから悪い事をする機会が多いであろう人たちが
罪を犯しても普賢菩薩に罪を許される為に
刺青に入れてるのではと

そんな話をしたのですが、
この話をしといてなんですが
この話って本当なんでしょうか?
でも意味的には凄く合ってるし・・・
こじつけ話の様な気がしますが・・・
残念な事にどこで聴いたか、読んだかも覚えてないし
私にこの話を教えたのは誰だ?

4月28日の日記

2006年4月28日 日常
義理の義理のおじいさん(ほぼ他人ですな)が癌で死んだんけど
その御通夜にうちのオカンが行ってたんだけど、
非常に変わった御通夜だったらしい、
その人の奥さんが村独自(関西圏です)のやり方でやるというので
(周りは説得したのですが)

親戚じゃない参列者には雨でも外で待たせ息子の部下や取引先が20〜30人も来てるのに
焼香も、お清めの塩も無かったらしい、

不謹慎な意見かもしれないけどなんて面白い葬式なんだろうと思ってしまいました。
今回の執り行われた葬式が宗教的なものでこうなったのか、
地域の風習的なものなのかも判らないけど、
(それともこのおじいさんの個性か?かなりはっちゃけた人だったので癌の手術してからでも麻雀で百万単位で損するとか)
後このおじいさんが死ぬまでまったく気付かなかったけど奥さんもはっちゃけてる。横山やすしが死んで、西川きよしの強烈さに気付いたように)

こういう差があるというのは面白いと感じる。
正月を餅ではなく芋で祝う風習があると聞いた時もそう思いましたが
普段だと何となしに日本は均一的なんだなぁと思い感じますが、
お寺や神社なんかを見ても思想面では各宗派違うのかもしれませんが、建物自体には、どこかしら均一性が感じられますが、
お坊さんが来てお経上げてたので仏教という括りの中にあるにも関わらず
この葬式はそういう均一的なモノから縛られていなくて
普段だったら絶対表に出ない、何かが表面に現れていて
話がやや外れますが、このお通夜の話を聞いたとき、
私は絵を観る時は(別に音楽聴く時や本読む時やスポーツ見る時でも良いですが)
このお通夜と同じく一つのモノの中にある共通するモノと独立してる部分に面白さを見出してる感じました
絵なり音楽と言う言葉に縛られてるけど、
でももう一歩踏み込んで個々(派でもいいけど)のものに眼をやると
その絵や音楽の言葉の中には非常に多種多様なものがあって
仮にその中で何とか派という言葉で表現されていて、同じ楽器を演奏していても、
同じ師弟関係であっても、スポーツなら一定のルールに縛られていて
共通の部分もあれば、違う部分もありで、
またまったく違うジャンルなのに、どこかしら他のモノと共通するものがあったりとそういう差や共通性に、

なんか義理の義理のおじいさんの死は何となく疑問を持つ死ではありますが、手術してから2ヶ月ぐらいしてから死んだんだけど、
果たしてそれならもっといい生き方が有ったのではとか
同じ治療するにしても年も若くて頭は耄碌してなくてハッキリしてた方なので告知した方が、治療法も選択肢はあったのではと、
このおじいさんならそこからカムバックしてきそうな勢いのある人だったし
その辺は個人の自由なんでほぼ赤の他人の私には口は挟めませんが、なんかそんな事を考えてしまいました。

4月5日の日記

2006年4月5日 日常
やっぱりなりましたね。花粉症に、
このままいけば桜でも写真撮りにいけるかなと思っていましたが
今はそんな気も萎えました。
先週ぐらいから、花粉で鼻の奥が腫れて、
炎症起こしてるというのが実感できます。
鼻水だらだらじゃないけど、
(これは顔面に鍼打った効果でしょうか)
出血してるのか、
微妙に鉄分臭い血の匂いがして、
食事をしても茶とか飲んでも、味がよく判らないです。
ほっぺたと唇も腫れてるような感じで、うっとい、
涙ボロボロじゃないけど、瞼が腫れぼったいし

あと一日中寝起きの様に頭がぼぅ〜〜として、調子が悪い。
なんかハッキリしない。
花粉ボケ?
今日とか雨が降って少なそうなので写真撮りに平野神社に行ってきましたが、でもホワイトバランスの設定をし忘れて写す、というぼけぼけな行為をするし
その割には血の気が多いのか、胃と首が熱く、のぼせやすく
体調、気分共に最低です。
多分ゴールデンウィーク明けまでこんな感じかなぁ、
今年は大丈夫だなぁとか思っていましたが、例年通りでした。
花粉よ無くなれ、
馬鹿話を一つ花粉症を抑制するためには、
もっと国有林伐採しろよと思うのは私だけ?
伐採するだけなら、材木市場がダブつくから
杉や檜の木を使って家を建てる人に助成金出して、
そうしたら医療費の節約にもなって良いと思うのですがダメ?
住宅、材木市場も活性化するし

本日の一言 久しぶりにニュース聴いて知ったのですが
米下院院内総務のTom DeLayが辞任してますね。
さすがと言いましょうか、永田議員と違い引き際知っていますね。
これで随分前ですがTrent Lottも、上院院内総務辞めてますし、
2000年の頃からの共和党時代も一つの終わりでしょうか。
ブッシュも後任期が2年で切れるし、ネオコン時代も一つの終わりを迎えるのでしょうか
どうでもいい話ですが
Tom DeLayとTrent Lottはダーティなイメージがあって、
テレビに映るとダースベーダーのテーマソングが頭の中で浮かびます。

これからの数年間はどうなるんだろう?
Bill Fristが握るのでしょうか?
でもFristは公約守るなら、今ので任期切れで再選出来ないはず、
あとインサイダー取引の容疑もあるし、どうするんだろう。
大統領選に出馬する気なんでしょうか?
それとも一匹狼(もしかして死語?)のJohn McCainがついに
表舞台に来るのでしょうか?
John McCainが表に出てくればもっと変りそうですが、
民主党とも問題によっては、手を組んで、
今も移民問題では民主党のTed Kennedyと手を組んでいますし
でも次の大統領選に出馬する話がありますよね。
(ライスと戦うつもり?若しくはヒラリー?)
う〜ん、今後どうなるかは予想は付き難いですが、
Tom DeLayの辞任、次の選挙には出馬しないというのは
一つの時代の終わりを感じますね。

3月23日の日記

2006年3月23日 日常
3月の頭に梅を観てから、久しく観てなかったので、北野天満宮で
梅を観てきたのですが、今日観た梅は3月の始めの頃に比べると
花は咲いてて綺麗だったのですが、なんか生命力に欠けてる感じがしました。(普段花を見ても余りそういう事は感じないので、
観る方の気持ちの問題かもしれませんが)
花に勢いが無いと言いましょうか、確かに花は前より咲いてて綺麗でしたが、その雰囲気は花が満開に咲く頃より、
6〜7分咲きの方が美しいなと思いましたとさ。
帰宅後池大雅やその他の人の梅の絵を画集で観て思ったのですが
画家で梅描いて巧い人は、花だけでなく雰囲気も描いてるんじゃないでしょうか。仮に満開の花を描いていてもでも、
伝わる雰囲気は6〜7分咲きの頃の梅の生命力や勢いとかそういうのが一番伝わってくる頃の雰囲気を持ち出すように

3月16日の日記

2006年3月16日 日常
この月の頭ぐらいから、凄く忙しかった。
オーストラリアから知り合いくるし、
義理と人情で行かなくてはならない展示会があったし、
本当はこの月まだ行ってない国立博物館で絵でも観て、
すきっとした。気分になりたいのに
(まだこの月行かなくてはならないう義理と人情に縛られた
展示会が二つ残っています。)

季節の変わり目なのか体調の方も良くなかったし
腕と足の調子が悪いので、推拿してもらったら、
次の日は痛くて動けなかった。
後花粉が飛んで鼻が詰まるので、顔に鍼してもらったり、
(今思えば記念に写真を撮っておけば良かったのに忘れてた)
あと季節柄なのか、気分もうっという気分だし、
そんな時に限って学校絡みの事を考えにゃならないし
とりあえず結論は出したけど疑問、どうするか考えなくては・・・
そんな感じで、忙しかった。

なんか毎年春と秋は、忙しい忙しいと言っている気がしますね。
自分の学習能力が無さに情けない気分になりそう。
今の時期は精神的に落ち着きが無いから、
普段から落ち着きが無いのでいつも以上に
そういう風に感じるだけかもしれないけど、
年末から時間の流れが凄く速くて、流れに私一人取り残されてる感じ、それだけ焦ってるという事なんでしょうか?

こういう時こそもうちょっと気持ちを大きく持って冷静に、
全体の大きな流れを観なくてはいけないんだろうけど、
難しいです。
いつの日かそんな日流れが見える日が私にも来るのでしょうか、

2月17日の日記

2006年2月17日 日常
空が曇ってるせいか、うっとい気分
脊椎の奥の方が痛いし、指も腫れるし、
花粉が飛んでるのか座ってると鼻水が垂れてくるし
このままではイカンと思い気分転換に散髪に行きました。

気分転換ということで新しいにお店に、
前に行ってたお店もディープな話が聴けて
例えば月々の売り上げとか、ここの場所は賃貸か、持ってるのか
研ぎに出したハサミが帰ってこないとか、
椅子の値段とか、美容師は散髪する時どうするのかなど
たまに彼女と結婚出来ない、婿養子に入るか
どうかでゴチャゴチャあってや
過去に柔道の選手だっとか30キロ以上ダイエットした事があるなど、なかなか面白かったのですが、最近話のネタが尽きたのと、
単純にそこの場所に行くまでに花粉が付くのが嫌で店を替えたのですが、
新しい店の印象は。料金はアップ、
内装の趣味が良いのは新しい店(スペイン風の内装)
でも椅子が座り難い、頭のシャンプーは前の店の方が断然上手、
さすが30通りマスターしてると豪語してるだけの事はある。
カットの技術はどちらが巧いのか、
切って日数経ってないのでまだ不明ですが、
こちらの方が新しい方が巧そう。でも独創的度は意外な事に前の人の方が上。美容師さんのキャラの濃さは、まだ一回しか行ってないので判らない部分もあるけど前の店の方が断然上ですな。
とそんな事を店を後にしたんですが

散髪を終えるとやっぱりスキッとしますね。
相変らず空模様はうっとい感じですが
そんな劇的に髪型変えてないし、数ヶ月前の髪型に戻っただけなんですがそれでも非日常的な事をすると、なんか気分が安らぎました。というか単純に髪を短く切った分それだけ花粉が付かないから楽なだけかもしれませんが、気休め程度かもしれないけど。
あと町の中だったから、花粉も飛んでなかったし

余談どうでもいい話ですが、今回髪を切ってる時思ったのですが、
散髪屋の髭剃りって衛生上問題無いのかなぁ?
消毒してると思うけど、血液感染とか結構ヤバイ気がするけど。

2月14日の日記

2006年2月14日 日常
昨日自分の誕生日だったのですが、
誕生日におめでとうとか言われると
なんでこんなにこっ恥ずかしいんだろう
普段だったらなんとも思わないのに、
ケーキとか食べるだけの普段とごく変わらない事をしても
なんか反応に困ります。まあでも、
感謝感謝、祝ってくれた人に平安がありますように

自分の誕生日って、人それぞれ重さが違うと思いますが
私の場合は自分の誕生日の次の日が私の祖父の誕生日なんで
自分を祝うより何をプレゼントしようかという
ギリギリのタイムリミット
昔は何を送るか悩みましたが
最近はCDを送る事により何を送るかという問題が解決したので、
そこまでギリギリということは、無いですが

私の祖父は糖尿で数年前、心臓が調子悪かって死に掛けたこともあり、今はピンピンしてますが、でもやはり歳は歳ですから

この時の体が痩せ細り、顔が青白い姿を見てからは、
この時は本当にヤバイと思いました。
普段から細い人ですが、本当に足が細くて、肉も筋肉にもなくて
自分にとってショッキングな出来事でした。
この時以来自分の誕生日より祖父の誕生日の方が比重が重くなりました。出来ることは今の内にしとかないといかんなぁと思い、
いなくなってはもう無理ですから
それからはもうこちらの方が大切です。
自分にとって祖父はもうこの一人しか居ないので、
そうじゃなくとも小さい頃から可愛がってもらってますし、
これぐらいのお礼はしてもいいだろうと言う事で
昔はそんな事無く何にもしませんでしたし、何も考えてませんでしたが通例の行事になっています。

ただこの時期祖父からプレゼントのお礼の電話が掛かってきて、
お誕生日おめでとう。いやいやこちらもお誕生日おめでとうという
どちらが祝ってるのか祝ってもらってるのか、お礼を言ってるか、貰ってるのか、わからない光景は自分の事ながら
なんか可笑しい光景だなぁと思います。
微笑ましいちゃあ微笑ましいかもしれませんが・・・
変な気がします。
まあ変な光景ではありますが出来る限りこの光景が続きますように

2月13日の日記

2006年2月13日 日常
絵に関する個人的メモ

絵画は当初、写実性を重視して生まれる。
現実にあるモノを違う媒体に移し変えるために発達するため
しかし地域によっては色彩は重視せず、描線を重要視する事あり、
鈎勒
しかし後年筆法に変化あり、
ただ鈎勒に表現の限界を感じたからではなく、
描く素地の進化にも関わりあり、
絹、紙、布と
素地の加工技術は非常に重要、
これが思い通りに線が引けるか、絵の具が定着するか関わるため
生絹、セリシンという膠質に包まれており、硬くまた黄ばみあり
セリシン防水性が強いため、墨を弾く
そのためセリシンを適当に除去する必要性がある。
せリシンを全て除去すると防水性が無いため、墨が滲み出る
適度に
紙、布はいずれも植物繊維、セリシンの問題は無いが
防水性が無いため、防水性に加工する必要アリ
また織目の凹凸も問題。当然の事ながら筆が運び難いため

基本加工技術
生絹 打練
杵で打つことにより、防水性が弱まり吸収性が生まれる。
同時に繊維が柔かくなり平滑になり、白さ増し艶が出る。磨くも同様の効果あり、練るのも防水性の低下、親水性の増加あり
木灰汁、燐酸ソーダの溶液で煮詰めセリシンを取り除く方法も
絹基本にセリシンを処理必要をし防水加工をする必要あり

紙も同様に打つべし繊維の隙間がつまり、表面が滑らかになり、光沢が生じる。ただこれだけでは、墨の滲み止めには不十分。
墨の滲みをコントロールするためにではどうするのか、
打つという行為から離れ、塗るや染める方向へ、但し添布には原則紙を打つ必要あり
その1黄檗やつるばみの様なタンニン系の染料で紙を染める。
またタンニンには防虫効果
その2白土や雲母のようなものを添布

後年技術的進化によりどうさ登場、膠に明礬を加え作成、
中国での名前は膠礬
どうさの技術の成立と普及を歴史的に、
作品に即して実証することは困難、不可能な部分を多く含む、
しかし11世紀の北宋では普及していた。
どうさ技術の成立によりに紙も防水性を得る。

これにより描線を非常にやり易くなるも
元以降、どうさを使うかの議論発生
またこれには思想的絡みあり、職業的画家以外の画家の登場により

絹絵の水墨
セリシンをコントール出来るようになり、線描がし易くなるも
安定した技術と表現に反発するように、
あえてセリシンを除去はしてあるも
あえてどうさをしないで、描こうとするモノが現れる。
紙絵のどうさしない水墨画が盛んになり、その表現的面白さにより
滲みを作り出そうとする。絹絵は本来滲みを否定するにも関わらず、またこれには繻子織の絹が使われる
(個人的ツッコミこういう困難に立ち向かう難しいもので描きたいという流れは
日本的は浦上玉堂なんかにも関係あるのだろうか?わざと描き難い竹の筆で描いてみたり若しくは池大雅の様な指頭画と)

紙絵の水墨
六朝のころより紙は作品に使われるも宮廷画家の様な一流画家にはあまり使われず、圧倒的に、紙絵の作品は少ない。
しかし宋代から変化が起こる。米芾、米友仁、李公麟、夏珪の登場によりそして元代、文人画系の画家が絵画活動の主流を占めるようになると趙孟頫、元末四大家、黄公望、呉鎮、倪瓚、王蒙などが紙を主体になった作品を作る。後代これに影響を紙の作品が受け増える。
(個人的ツッコミ、元代に紙を使った作品を増えるのは何故か?
紙の技術的進化、線描に対する飽きなどもあると思うが
元という国家体制が紙を非常に重要視していたからではないか?
確か紙のお金が登場したのは元代だったと思うのですが・・・)

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