国立近代美術館の感想でも

ボルゲーゼ美術館展もありましたが、パスして常設の村上華岳の話でも

没後70周年と言うことで行われている展示で
国画会にも所属していたので、同会所属の入江波光、
榊原紫峰・土田麦僊・野長瀬晩花などの作品も展示してありました。

村上華岳の絵は纏まって観るのは今回初めてだったのですが、
印象は、仏画と、植物や風景では描き方が随分違いますが。
でも全体の印象としては、ぼわっとしていて溶けて消えてしまいそうな所でしょうか。
くっきり、はっきりではなく

黒い牡丹の絵が展示されていましたが、水墨画の技法で、輪郭線を用いない、
墨の濃淡がしかっかりして、さらに葉や枝と、花に違う技法で描いてあって、
普通なら、それだけ違うなら、下手な画家ならてんでバラバラに
上手なら画家なら、ハッキリした印象。葉と花どちらに重きを置くかで評価変わりますが、

だと思うのですが、村上華岳の絵は本当にぼわっとしている。
でも牡丹の優雅さは消えてない、むしろ品が出て引き立つ。弱弱しい印象は持たない。

村上華岳の個性が出ている絵だと思いました。

あと帰ってから思ったのですが、水墨画に関しては光悦、宗達の様な要素がある様な気がしました。

絵から伝わる。柔らかさ、しなやかさと言った印象が

それと秋刀魚の絵や、鰈の絵や、舞妓や芸妓の絵を描いていましたが
村上華岳と言えば宗教画というイメージがあったので、意外な印象でした。

村上華岳の仏画の妖艶さはこの辺とも関係あるのでは(個人的には妖艶だと思いませんが)
あと舞妓や芸妓の絵の着物の線と水墨画の風景に入れてある線は結構共通点のある。
線ではないかと思いました。

仏画の輪郭線は一種独特のものがあるのでは?
太くもなく細くも無く、激しさもなく、落ち着きも無く。
でも平凡ではない。絵に丸さはあっても舞妓や芸妓の絵を描く時は
まったく違う。丸さと、ぼわっとしてて、ボケてるのかなと思うとそうでなく、
物凄い濃い霧が漂ってる印象でしょうか。

あと自分が前面に出てこないのも特色では?
同じ仏画でも堂本印象や杉本哲郎はテーマ的に仏画を選んでいても、
結構自分と言うのが出ていると思いますが、
前々いく押し出していく感じが

比較的若い年齢での死がこういう印象をもたらすのかと思いましたが、
速水御舟も若く死んでますが、
こういうぼやっとした印象は持たないので、むしろクドイので
やっぱり村上華岳の個性なのではないでしょうか?

あとこういうぼやっとした印象は後の時代の絵にも技法的には違っても観られるので後世に影響を与えた。
点では入江波光、榊原紫峰・土田麦僊・野長瀬晩花なんかより大きいのではないでしょうか?

本日の一言 平山郁夫が亡くなりましたが、今後彼の絵は値段が下がるのか、上がるのか。
どちらでしょう。個人的には下がると思っていますが、どうでしょう。
あと平山郁夫の師匠は前田青邨ですが、
この系譜はこれで途絶えるのかな?それとも登場するのか?
後釜が気になりますね。ポスト平山郁夫は誰だ



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