4月2日の日記

2009年4月2日 読書
まさかの飼い犬に手を噛まれる。10数年付き合って初です。
胃は花粉症にやれるは、
足の爪は深いところで割れてるので、
1ヶ月半で治るはずがないので、美術館の過ぎ行く。展示内容を過ごしながら少し広い座敷牢生活続けているのですが。

そんな時に、暇なのでちくま文庫のオマル・ハイヤームのルバイヤートを読んでいて、
詩の中に自分が死んだら、陶土になって、杯になりたいという。
まぁ飲んべ極地だなぁという様な詩がいく篇か収められてるのですが、

その時思ったのですが、あらこの考え方に似た。話を何処かで
聞いた事があるなぁ。と思って数日考えていて、
ふと思い出したのですが、

青木木米の発想と似ていますね。
こちらは、自分が死んだら、山奥に骨埋めて、数百年後
陶土になって、焼き物になりたい。という話だったと思いますが、

東西問わず、愛するがあまりその物になりたい。という。発想なのか、
それとも、翻訳者のなんらかの意図なのか、
それとも実は別々に裏に凄い。深い意味があるのか。
オマル・ハイヤームの方は、なんか有りそうな気がしますが。
結局自分の頭の良さとは、関係なく動く現実、運命を歌ってる感じがしますので、
ただ岩波の方には収められて無かった記憶が・・・。
青木木米の方はそのまま、焼き物が好きなのねぇという感じですが

なんとな両者は時代も国も職業も違うのに、こうやって発見すると
面白い共通項だなあと思ったので、忘れない為に書いてみました。

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