文化博物館の美の探訪展を観に行ってのを感想を

内容のほうはモンドリアン風だなと思ったり
池田遥邨の縦方絵の構図は凄く変わってるなとか、
(2種類の角度からの風景が物凄く上手に融合してる。
普通だったら絶対変になるのに、その割には凄く安定してるというか
絵が穏やかなのは何故?)
金島桂華と宇田荻邨が非常に似た構図で描いてるなとか
池田遙邨の雨の大阪と似ている絵も
お前は福田平八郎かという様な絵があったり、
日本画家は植物を手前に持ってきて後ろに風景描くのが好きだなとか
ある程度同じ傾向みたいなのがあるなぁと。
(ある絵と構図が似るのは何故黄金比的な問題?
また構図に普遍性みたいなものがありますが、それはどうやって認められる?
画家仲間で、世間で、また流行の衰退の原因は?)
例えば絵から感じるその時代の流行や、多分習ってる学校が一緒、同じ会に属してる。
一緒の時間を過ごしていたんだなと思ったり
使ってる絵の具が一緒とかそんな事を思いながらみてたら思い浮かんだのですが

画家というのは必ずしも創造的な絵でなくても画家ではないのか?
また近代の中には画家とは呼ばれていますが、
内容はどちらかといえば芸術活動イコール画家ではない。
そういう画家もいるのではないのかということです。
多分そちら側の方が多いのでは・・・(それに関しては特に否定的に捉えるというのでありません)
個人に注目したらそんな風には見えないかもしれませんが、

より大きく見た場合には例えば美術団体で、時代で、絵の具で、絵の表現方法で、

画家と言うのは、実は創造性、芸術性云々より、(何を創造性、芸術性と呼ぶかは難しいですか)
実は伝統産業ちっくなのではないかと、工芸とかより職業的な要素があるのでは・・・
前時代の物を非常に受け継いでいて
例えばカリキュラムは違うかもしれないけど、学校である先生の弟子筋に絵を習い。
多分一昔前の京都芸大なら何世代も遡らなくてはいけないけど、
最終的には応挙若しくは呉春に行き着くのでは?油絵なら浅井忠へ
どんなに近代化を謳っていても、(というか絵を各行為自体が洞窟壁画などがある事を思うと、
それだけで伝統的などでは・・・話がぶっ飛び過ぎですが、)
同じ美術団体に属したり、作品の模倣や同じ絵の具を使うことにより、
結構江戸時代の狩野派と同じ様な要素があるのでは・・・
権力との距離感などは違いがあると思いますが、
(食べるためにそういう手堅いカタチになったんでしょうか?)
あと権力持ってる組織は、自分達の存在価値に重きを置く限りは
まったく異質なものが出てきた場合やはり排除するのでは・・・
排除とまではいかないまでも、低い評価をするとか、
器用な人はそういうのと上手に折り合いつけて、
新旧まぜこぜ、ひっつけくっけするのかもしれません。

結構そういうもので、ガチガチに縛られてるのではと
創造性、芸術性を謳う割には、だからこそ創造性、芸術性を謳うのかもしれませんが、
(美術団体が分裂しやすいのはこの辺が理由か?また団体が出来易いのも)
芸術活動って個人の部分が大きい様な気がしますが
実は、個人と同じくらい伝統や組織の部分があるのではと思いました。

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