相国寺の伊藤若冲展の感想を(やや斜めな見方での)
お前は、先に予告した福田平八郎展の感想を先にやれよと言われるかもしれませんがそちらは少々お待ちください。2〜3日中には
展覧会にはもう行ってるので文もある程度
絵の方は若冲よね。としか言いようがないのですが、
若冲展ですから・・・
とりあえず人多かったっす。
多いと判ってたので、3時回って行こうと思い行ったけど。
思いのほか到着が早かったのか。
ものの見事にぶち当たりました。(ですので2時間ぐらい観てた割には絵はじっくり観てないです。)
少しずつ減ってたけど、でも本当に多いので、
会期終盤はもっと多くなる可能性も十分あると思います
行くなら午前中か、夕方かにして、
事前に承天閣美術館電話して混み具合を聞いて行ったほうがいいと思います。あと土日は外で並ぶ可能性も十分あるので
暑い日は暑さ対策もしていった方がいいかと
本題の動植綵絵に思うことは、以下物凄く主観的な感想ですが
感じが李迪っぽい。(南宋時代の画院の画家)
でも構図が違う。若冲は、全体が自然な風景ではない。
非常に人工的。だから絵が作られた感が非常に強い。
部分部分は極めて写実的な描き方をするけど。纏め方が
過去に見た石灯籠図屏風なんかも恐らく写実的に実風景見て、
自然な風景を描いてると思うけど非常に作られた感が強い。
同時代の比べられる。長沢芦雪や曽我蕭白の絵も筆致、
ものの見方は独創的だけど、構図はここまでの作った感は無いと思う。でも流石の若冲も頂相画(坊主の絵)は普通の、頂相画でした。とりあえず描いて描いて描きまっくている。
このスペースには無理だろうという量を、詰め込むし描き込む
もう少し大きいサイズで描けばというくらい。
でも逆に考えるならだから絵に迫力、圧迫感がでるのではと
それがこの人の味だと思う。下記の曲げ、3角形と合わせて
好き嫌いの出る部分だと思いますが。
あと絵は装飾的だと思わない。描き込んではいるけど。
呉春や琳派の方がずっと装飾的だと思う。
また構図的にも装飾を目指した人工的な感じはない。
動植綵絵の構図にはパターンもあると思います。
その1 メインにでっかいの持ってきて
例えば鶏、鳳凰もってきて、後ろ描き込み。
それとメインのものを背景に被るのは非常に少ない。
あくまでメインは前に。
だから何が作者が何をテーマに描きたいのか、
というのが非常に判りやすい。画題も判りやすい、
多くの鳥の絵がメインの絵はこの系統
その2 大きなメインは無しひたすら細かいのを全面に描き込み。紅葉小禽図、薔薇小禽図、牡丹小禽図がこの系統
その3 三角の空間、上辺下辺に作って、中央に対角線上に並べる。蓮池遊魚図、秋塘群雀図がこの系統
でも基本には対角線が嫌いだと思う。
以上がパターンとして感じられました。
これらが動植綵絵の特色ではないでしょうか。
以前若冲の絵を観たのもあわせて
彼の絵で特徴的だと思うのは、3角形で構成すること。
大にしろ小にしろ
花にしても鳥にしても、枝にしても余白にしても。
絵のあらゆるところに3角形がある。
この3角形で絵を構成するのは凄く好きだと思う。
あと忘れちゃならいのが、曲げそれも相当歪んだ。
鳳凰、鶏の尾っぽ、雁の翼、家鴨の首、流水、木の枝など
(酒井抱一も絵が曲がってると思うがまた種類が違うと思う。)
このあたり非常に人工的だと感じる理由ではないでしょうか?
絵の感想に対しては以上。
ここからは本当に斜めな見方は相国寺は、なんぼ金だして、
絵を宮内庁から借りてるのか、
いくらにしてもチケット1500円は高いぞ。
(しかも招待券あんまり流してないぞ)
このうちチケットのうち広告費はどれくらい?
又企画のアイデア、設備、どこの会社が入ってるのか、
マージンはどれくらいなのか、
一日の売上高は?1日2〜3000人はきてそう。というか、入場者数トータルどれくらいになるんだろう。公表するのかな?
教えてほしいな。絶対表に出ないと思うけど
お前は、先に予告した福田平八郎展の感想を先にやれよと言われるかもしれませんがそちらは少々お待ちください。2〜3日中には
展覧会にはもう行ってるので文もある程度
絵の方は若冲よね。としか言いようがないのですが、
若冲展ですから・・・
とりあえず人多かったっす。
多いと判ってたので、3時回って行こうと思い行ったけど。
思いのほか到着が早かったのか。
ものの見事にぶち当たりました。(ですので2時間ぐらい観てた割には絵はじっくり観てないです。)
少しずつ減ってたけど、でも本当に多いので、
会期終盤はもっと多くなる可能性も十分あると思います
行くなら午前中か、夕方かにして、
事前に承天閣美術館電話して混み具合を聞いて行ったほうがいいと思います。あと土日は外で並ぶ可能性も十分あるので
暑い日は暑さ対策もしていった方がいいかと
本題の動植綵絵に思うことは、以下物凄く主観的な感想ですが
感じが李迪っぽい。(南宋時代の画院の画家)
でも構図が違う。若冲は、全体が自然な風景ではない。
非常に人工的。だから絵が作られた感が非常に強い。
部分部分は極めて写実的な描き方をするけど。纏め方が
過去に見た石灯籠図屏風なんかも恐らく写実的に実風景見て、
自然な風景を描いてると思うけど非常に作られた感が強い。
同時代の比べられる。長沢芦雪や曽我蕭白の絵も筆致、
ものの見方は独創的だけど、構図はここまでの作った感は無いと思う。でも流石の若冲も頂相画(坊主の絵)は普通の、頂相画でした。とりあえず描いて描いて描きまっくている。
このスペースには無理だろうという量を、詰め込むし描き込む
もう少し大きいサイズで描けばというくらい。
でも逆に考えるならだから絵に迫力、圧迫感がでるのではと
それがこの人の味だと思う。下記の曲げ、3角形と合わせて
好き嫌いの出る部分だと思いますが。
あと絵は装飾的だと思わない。描き込んではいるけど。
呉春や琳派の方がずっと装飾的だと思う。
また構図的にも装飾を目指した人工的な感じはない。
動植綵絵の構図にはパターンもあると思います。
その1 メインにでっかいの持ってきて
例えば鶏、鳳凰もってきて、後ろ描き込み。
それとメインのものを背景に被るのは非常に少ない。
あくまでメインは前に。
だから何が作者が何をテーマに描きたいのか、
というのが非常に判りやすい。画題も判りやすい、
多くの鳥の絵がメインの絵はこの系統
その2 大きなメインは無しひたすら細かいのを全面に描き込み。紅葉小禽図、薔薇小禽図、牡丹小禽図がこの系統
その3 三角の空間、上辺下辺に作って、中央に対角線上に並べる。蓮池遊魚図、秋塘群雀図がこの系統
でも基本には対角線が嫌いだと思う。
以上がパターンとして感じられました。
これらが動植綵絵の特色ではないでしょうか。
以前若冲の絵を観たのもあわせて
彼の絵で特徴的だと思うのは、3角形で構成すること。
大にしろ小にしろ
花にしても鳥にしても、枝にしても余白にしても。
絵のあらゆるところに3角形がある。
この3角形で絵を構成するのは凄く好きだと思う。
あと忘れちゃならいのが、曲げそれも相当歪んだ。
鳳凰、鶏の尾っぽ、雁の翼、家鴨の首、流水、木の枝など
(酒井抱一も絵が曲がってると思うがまた種類が違うと思う。)
このあたり非常に人工的だと感じる理由ではないでしょうか?
絵の感想に対しては以上。
ここからは本当に斜めな見方は相国寺は、なんぼ金だして、
絵を宮内庁から借りてるのか、
いくらにしてもチケット1500円は高いぞ。
(しかも招待券あんまり流してないぞ)
このうちチケットのうち広告費はどれくらい?
又企画のアイデア、設備、どこの会社が入ってるのか、
マージンはどれくらいなのか、
一日の売上高は?1日2〜3000人はきてそう。というか、入場者数トータルどれくらいになるんだろう。公表するのかな?
教えてほしいな。絶対表に出ないと思うけど
コメント