12月18日の日記

2006年12月18日 ぼやき
古本屋で川合玉堂の若い頃の写生集みたいな本が安く売っていたので
買って、巧いなぁと思いながら観ていたのですが、

その本の最後の方にプロフィールが載っていて
それを観て知ったのですが、
物凄く良い師匠に習ってますね。
望月玉泉、幸野楳嶺、橋本雅邦とこの時代の有名どころに
(またどの先生も派が違うのが面白い)
その後この先生達に習ってたと言うことを
思いながら絵を観ると墨の使い方は、
望月玉泉、幸野楳嶺、習い、
構図や題材の選択は橋本雅邦の影響
受けてると思いますね。
(あと写実的なのは3者からかな?若しくは幼い頃からの習慣?)
もっと大きく観ると緩やかに四条派と狩野派と新派と微妙に洋画が融合してますね。
でもちゃんと絵に個性があって(派に埋没する事無く)
凄いなと思います

後画歴のほう観ると竹内栖鳳、横山大観、下村観山、山本春挙らと
淡交会作ってたり、フランスやイタリアから勲章もらってたり、
東京美術学校、帝展の選考してたり非常に充実してると思うのですが不思議なことに値段の方はあまり高くないんですよね。
あと評価も
竹内栖鳳、横山大観、上村松園なんかと比べると
絵の巧さと値段は関係無いと言われるけど
川合玉堂はその事例通りなんでしょうか?
絵が穏やかで、誰が観てもこの人江が巧いなと判りやすくて、
(この辺が値段が安いのが原因?それとも政治運動が足りんのが原因?若しくは先端を走る者じゃないから?)
でもこれ見よがし的じゃなくて、くどくなくて、絵の纏まり感、
素晴らしい構成力が私は非常に好きなんですが、
どことなく忘れ去れた感があるのは気のせいでしょうか。

あと話が唐突に飛びますが穏やかなものって良いと思いませんか?と言うかそういう、私は絵や音楽を聴いてると穏やかなものについつい憧れます。

穏やかなものには前衛的な、攻撃的な、残酷性、痛々しい、
クール、かっこいい、情熱的、激しいというものは
あまり無いかもしれませんが、世間的に芸術などと呼ばれる要素ですね。
でも私は穏やかなものについつい引かれてしまいます。
確かに攻撃的な、残酷性、痛々しい、クール、影、情熱的、激しいには魅力があると思いますし、実例挙げると八大山人、長沢芦雪、Caravaggio、Munch、Miles Davis、John Coltrane など
また美や芸術といったも同時に存在すると思いますが、そういうものに惹かれる自分がいるのも事実ですが
でも同時に観てたり、聴いてたりすると非常に疲れる。
同時にこれは見る人の思い込みかもしれませんが
演奏や絵だけでなく製作者の演奏者や画家の事を思うと、
どうも幸せな人生送ってない気がするんですが
社会的抑圧、貧困、麻薬や精神の変調や病気など、個人的悩み、
不幸がなどが漂っていて、
演奏するなり、描くなりで表現してそういうモノと闘っていたり訴えてるんでしょうけど、
中には素でそれをやられる人もいると思いますが
観てて、悲しい陰鬱な気分になります。
同時にかっこいいとも思いますが。

一方穏やかな、お気楽なものにはあまり芸術性云々言われないのは
何故なんでしょう。逸脱の精神が無いからでしょうか、
普通に思えるからでしょうか、
私は穏やかなものの中にも芸術と呼ばれてる要素がある様な気がしますが(勿論穏やかにさせる独自の要素も混在してて)
それが表面的に全面的に打ち出すか、見えない様に内紛してるか包んでるか、比重の問題であって無い訳ではないと思います。
逆にそういうモノを知ってるから、こそ穏やかに、
お気楽に出来るのではと思いますが、
だから穏やか、お気楽、ある種の安定感に芸術性が無いというわけでは無いと思いますが、そういうモノにもあると思いますが
どうなんでしょう。
最後に穏やか、安定性を感じる、お気楽というものに
かっこいいとあまり感じないのは何故なんでしょう。
そういうモノと相反するモノなんでしょうか。
かっこいいというものは・・・

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