以下は私のへ理屈と疑問です。

美人画(上村松園や鏑木清方や浮世絵などの)って
現代の美人の美的基準から言わしてもらうと
美人が描かれているわけでも無いのに、
なんで美人画って言うんだろう。
銘記が人物画だと都合が悪いのだろうか?
若しくは江戸の女性画だとか

そもそも美人画の基準ってなんなんでしょう
発生した時期って何時なんだろう。
近代なのか江戸時代なのか、
そして浮世絵の美人画と日本画の美人画を一緒の明記でいいのか?
油絵の具で描いても美人画と呼べるのか?

派生的には風景画に描き込まれる人物像を取り出したものでは無い気がする。
美人画ってあくまで人物がメインであり、
風景がメインじゃないから
かといって肖像画の系統でも無いとも思うし
ぱっと観た感じ一番近い気もしますが
肖像画って時の権力者や宗教家や金持ちの
威厳や権力をアピールするためのものだと思うので
美人画って楽しむための絵ですから違うと思うし
(特に浮世絵の美人画の場合は)
う〜ん絵ではないけど写真のブロマイド的なのが一番近いと思うけど、じゃあどうして写実的な描写ではないのかと言われると非常に厳しい
それとも私が現代の目で見てるからああいう絵が写実的に見えないだけで当時の人たちには写実的に見えたのだろうか?
一人一人の個性が判断できるくらいに?
個人的には写実的な絵ではなくデフォルメされた絵だと思うけどどうなんだろう?写実的に描かれていれば女性の肖像画になってしまうと思うので・・・

ここまで描いといて何ですが美人画って
描かれた時代、筆法、絵の具、写実性や色彩に関係なく
江戸時代の美的基準で美人を描かれていれば
美人画になるんだろうか?ある特定の様式に則って描かれていれば
でもそれってある種の粉本主義とも繋がりますよね?
果たしてそれは近代的なんだろうか?
それとも美人画は浮世絵が派生と考えた場合
元は狩野派の町絵師や狩野派を学んでいたけど出世できそうに無いから
鞍替えしてきたという説があるから、そういう狩野派の伝統の名残なんだろうか?
若しくは近世の円山派、四条派の粉本利用による影響?
あと時代を経て美人の概念が変化して現実に無い風景として
拒否された場合どうなるんだろう?消費する者が居なくなれば
美術館の中だけの作品になり衰退していくのでしょうか?狩野派や文人画の様に

若しくは過去の風景だからこそ時代的流行などで上手乗れば
現実に無いからこそノスタルジー的な風景として
受け入れられるのだろうか?
その場合、見る側としては風景若しくは肖像画になっても
やはり美人画は美人画と呼ばれるのだろうか?

あと美人画を通して近代における。西洋からの影響を考察するのも非常に面白いのではないだろうか?
例えば近世の美人画は背景は浮世絵の美人画と比べると明らかに
西洋画の写実的な影響若しくは自然主義から派生するであろう。必ずしも写実的に見えない
作者が見えるままに表現している場合があるが、美人画で一番重要であろう。
人物の部分は相変わらず浮世絵の頃と同じ価値観の美人の基準で描かれている。
(私の眼にそういう風に見えるだけなのかもしれませんが)
そういう視点から近代日本画における。写実主義の影響と
それに反するであろう。印象派やキュビスムや抽象画の影響を見ると非常に面白いのではないだろうか?
この視点から全てを論じちゃ駄目だけど

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