義理の義理のおじいさん(ほぼ他人ですな)が癌で死んだんけど
その御通夜にうちのオカンが行ってたんだけど、
非常に変わった御通夜だったらしい、
その人の奥さんが村独自(関西圏です)のやり方でやるというので
(周りは説得したのですが)
親戚じゃない参列者には雨でも外で待たせ息子の部下や取引先が20〜30人も来てるのに
焼香も、お清めの塩も無かったらしい、
不謹慎な意見かもしれないけどなんて面白い葬式なんだろうと思ってしまいました。
今回の執り行われた葬式が宗教的なものでこうなったのか、
地域の風習的なものなのかも判らないけど、
(それともこのおじいさんの個性か?かなりはっちゃけた人だったので癌の手術してからでも麻雀で百万単位で損するとか)
後このおじいさんが死ぬまでまったく気付かなかったけど奥さんもはっちゃけてる。横山やすしが死んで、西川きよしの強烈さに気付いたように)
こういう差があるというのは面白いと感じる。
正月を餅ではなく芋で祝う風習があると聞いた時もそう思いましたが
普段だと何となしに日本は均一的なんだなぁと思い感じますが、
お寺や神社なんかを見ても思想面では各宗派違うのかもしれませんが、建物自体には、どこかしら均一性が感じられますが、
お坊さんが来てお経上げてたので仏教という括りの中にあるにも関わらず
この葬式はそういう均一的なモノから縛られていなくて
普段だったら絶対表に出ない、何かが表面に現れていて
話がやや外れますが、このお通夜の話を聞いたとき、
私は絵を観る時は(別に音楽聴く時や本読む時やスポーツ見る時でも良いですが)
このお通夜と同じく一つのモノの中にある共通するモノと独立してる部分に面白さを見出してる感じました
絵なり音楽と言う言葉に縛られてるけど、
でももう一歩踏み込んで個々(派でもいいけど)のものに眼をやると
その絵や音楽の言葉の中には非常に多種多様なものがあって
仮にその中で何とか派という言葉で表現されていて、同じ楽器を演奏していても、
同じ師弟関係であっても、スポーツなら一定のルールに縛られていて
共通の部分もあれば、違う部分もありで、
またまったく違うジャンルなのに、どこかしら他のモノと共通するものがあったりとそういう差や共通性に、
なんか義理の義理のおじいさんの死は何となく疑問を持つ死ではありますが、手術してから2ヶ月ぐらいしてから死んだんだけど、
果たしてそれならもっといい生き方が有ったのではとか
同じ治療するにしても年も若くて頭は耄碌してなくてハッキリしてた方なので告知した方が、治療法も選択肢はあったのではと、
このおじいさんならそこからカムバックしてきそうな勢いのある人だったし
その辺は個人の自由なんでほぼ赤の他人の私には口は挟めませんが、なんかそんな事を考えてしまいました。
その御通夜にうちのオカンが行ってたんだけど、
非常に変わった御通夜だったらしい、
その人の奥さんが村独自(関西圏です)のやり方でやるというので
(周りは説得したのですが)
親戚じゃない参列者には雨でも外で待たせ息子の部下や取引先が20〜30人も来てるのに
焼香も、お清めの塩も無かったらしい、
不謹慎な意見かもしれないけどなんて面白い葬式なんだろうと思ってしまいました。
今回の執り行われた葬式が宗教的なものでこうなったのか、
地域の風習的なものなのかも判らないけど、
(それともこのおじいさんの個性か?かなりはっちゃけた人だったので癌の手術してからでも麻雀で百万単位で損するとか)
後このおじいさんが死ぬまでまったく気付かなかったけど奥さんもはっちゃけてる。横山やすしが死んで、西川きよしの強烈さに気付いたように)
こういう差があるというのは面白いと感じる。
正月を餅ではなく芋で祝う風習があると聞いた時もそう思いましたが
普段だと何となしに日本は均一的なんだなぁと思い感じますが、
お寺や神社なんかを見ても思想面では各宗派違うのかもしれませんが、建物自体には、どこかしら均一性が感じられますが、
お坊さんが来てお経上げてたので仏教という括りの中にあるにも関わらず
この葬式はそういう均一的なモノから縛られていなくて
普段だったら絶対表に出ない、何かが表面に現れていて
話がやや外れますが、このお通夜の話を聞いたとき、
私は絵を観る時は(別に音楽聴く時や本読む時やスポーツ見る時でも良いですが)
このお通夜と同じく一つのモノの中にある共通するモノと独立してる部分に面白さを見出してる感じました
絵なり音楽と言う言葉に縛られてるけど、
でももう一歩踏み込んで個々(派でもいいけど)のものに眼をやると
その絵や音楽の言葉の中には非常に多種多様なものがあって
仮にその中で何とか派という言葉で表現されていて、同じ楽器を演奏していても、
同じ師弟関係であっても、スポーツなら一定のルールに縛られていて
共通の部分もあれば、違う部分もありで、
またまったく違うジャンルなのに、どこかしら他のモノと共通するものがあったりとそういう差や共通性に、
なんか義理の義理のおじいさんの死は何となく疑問を持つ死ではありますが、手術してから2ヶ月ぐらいしてから死んだんだけど、
果たしてそれならもっといい生き方が有ったのではとか
同じ治療するにしても年も若くて頭は耄碌してなくてハッキリしてた方なので告知した方が、治療法も選択肢はあったのではと、
このおじいさんならそこからカムバックしてきそうな勢いのある人だったし
その辺は個人の自由なんでほぼ赤の他人の私には口は挟めませんが、なんかそんな事を考えてしまいました。
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