眠れないので独り言を少々

たまに思うのだが日本画って、
結局は和洋折衷主義の絵なんだろうか?
それも、洋画上位にきてるスタイルで、
民だけでなく官からして
日本政府はウイーン万博、パリ万博での成功で、輸出品として
日本の工芸品、芸術品が、十分通用することを知り、
さらに売るために西洋人的観点(オリエンタリズム)から見た、
日本画というものを制度的に作り上げ
(内国勧業博覧会などまた同展覧会で伝統的な南画や漢画系の絵を出品から廃し展示スタイルも同じく掛け軸を認めず)
国策として推進し、西洋人的観点から観た日本画というモノを推し進めたのではないだろうか?
プラス美術を芸術として観ず産業としてしか観ていないのではないだろうか?
この辺は現代の現代美術の美術館と関係があるんではないだろうか
またコンテンツ産業(ゲーム、アニメ、漫画にしても)
仮に横山大観や龍池会などの国粋主義的な絵があっても、
国粋主義という日本を意識する時点で、
それはもう洋の土俵に乗っかっているのではないか、
その土俵の上でどんなに足掻こうが、
戦うように乗せられてる時点で、それは負けではないだろうか?
勝ち負けの問題でも無いと思うが
過去現代いつで、戦おうとも、まず土俵を何も無い公平な土俵か、
自分たちが作り上げた土俵で無い限り、
それは常に洋に吸い込まれた形の中にある和ではないだろうか。
では、その和とはなんじゃらほいと問われれば、

私は漢画を上げたい、かつてこの国の伝統であっただろう。
中国絵画まで遡って求めたい。大和絵や琳派を間に含むにしても、
もう一度、墨の描写、筆の動きを
これも私の絵画趣味の問題と言ってしまえば、
それまでなのかもしれないけど
また洋画に対して、こういう態度を取る時点で私も上記と同じ
土俵に乗ってるのかもしれませんが、全面否定するわけでもなく、
それを全面的に受け入れるのでもなく、中途半端に、
その価値観も認める点で
でも現在の日本画に多大な影響を与える
漢画系の絵を無視するのはどうかと思う。
今のスタイルも方向性の一つとしてアリだと思いますが、
それもいい作品残していますし、それに急に路線方向は出来ないと思うから
もう一つ路線があっても良いのではと思います。
(ただこの懐古趣味的考え時代は忘れましたが、
明治か大正にも似た様な考えがあったはず)
特に大学生の卒業制作展などで絵を観てると、
胡粉塗り捲りの差がわからない絵を
また技術的な面意外でも絵に閉塞感があるので
多分近代の絵は単純に二つの対立する形式で書くと

それまでのごちゃごちゃの伝統的絵画
(狩野、土佐、円山、浮世絵、南画など)
の内での押し合いへし合いの融合とその反対に外来の洋画その中間ある新しく生まれたのが日本画

伝統的絵画・・・・・・日本画・・・・・・洋画
(またこの図式は時代が変わっても応用できるものではないでしょうか?)

でもその真ん中の日本画は本当に真ん中なのではなく
画家によって当然の事ながら、差がある。
伝統的絵画よりなのもあれば、
洋画的なものも、伝統的絵画だけの融合や伝統的絵画プラス洋画の技法を持ち込んだり
懐古趣味に走ったりそこは画家の個性
でも洋画の影響が皆無と言うのは難しいと思います。
そういう作風の派の絵は現代には引き継がれていない、
(それとも再現が不可能なのか、再現しても二番煎じと受け捉えられるのか?)
また引き継がれていても高い評価は受けてないと私には感じるのでそれに洋画を否定して描くにしても、その否定と言う意識を持つ時点で影響は受けている。
時代的に、西洋の価値観を肯定的に捉え、
これを価値観にして、描く点で、
政府もまた主導的役割を果たしたのではないでしょうか
海外で売るために、(日本画の対義語に洋画ある点などにも現れてるのではないでしょうか、この洋画には西洋画の略称だと思いますがこの対義語が東洋画ではなく日本画にある点に)
また印象派の浮世絵の影響がある点や海外のジャポニズムの評価などもこれに拍車を加えているのではないでしょうか?
で現代は明治、大正、昭和初期の作品が明治当初、
それまで伝統的だった
絵画の伝統の代わりになっているのではないかと思う。
現在進行形(村上隆、草間彌生とか)
少し前の絵、(小倉遊亀、小野竹喬、池田 遙邨、前田荻邨、東山魁夷、榊原紫峰など)

伝統的絵画(横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、菊池契月、土田麦遷、下村観山、菱田春草、橋本雅邦、狩野芳崖など)
伝統的絵画・・・・・・現代日本画・・・・・・洋画

で伝統的絵画は洋画的な影響を受けてるにも、関わらず、洋画という対立軸は変わらない(洋画の中身も変化してると思いますが、日本人の描いた油絵が増えてる事など)
だから洋画的趣味の絵が増える。
例えば胡粉を大量に使う作品。絵の具でデコボコの立体感や質感を与える。
この伝統的絵画に洋画的な要素が加わることにより、明治や大正と比べると
幅が狭くなり、日本画なのか洋画なのか、わからない絵が増えてるのではないでしょうか?

現代において私が伝統的絵画と少し前の絵と呼ぶ画家達は恐らく
師弟関係を考えた場合1世代、2世代戻れば
江戸時代にぶつかる。だから江戸時代の狩野派の絵手本による教育により古典なモノを模写する教育を受けている。
(浮世絵系統は知識が無いので判らん)
例えば狩野派であり、円山派、土佐派、琳派、文人画、雪舟、雪村、明兆などの画僧による絵

自分達がそういう描き方をするかどうかは別として
基礎にそういうモノを学ぶ機会、影響があったのではないでしょうか?
近代以前の絵を、好きか嫌いか、
新しい絵を作るのか、過去に逆行しようとするか、間で間合いを取るか、
それは画家個人の問題だと思うけど、

そして現代では私が伝統的絵画や少し前の絵の絵と呼ぶ人たちの
絵を見本とし、日本画と銘打って、日本画以前の古典なモノが薄くなっている結果、これは当然の結果ではないでしょうか、
それと明治期以降近代化という形で時代を経るにつれ、
江戸時代の儒学者的教育を受けた
権力者達が居なくなり文人画を理解する人達が居なくなり
文人画の評価が低くなり、その穴埋めに日本画食い込んだというのもあるのではないでしょうか、
あと狩野派亡き後の権力者のための象徴としての絵として
日本画必要だった?

生活様式も時代も欧米化しつつ
例えば日常生活での筆の消失など(だから現在墨蹟や水墨画の評価が低いのか?)
でも欧米で無い、独自路線を歩むし
少し前の人達の世代には無かったモノが目の前にあって
さらに現代の作品もあるのですから、蓄積として、
それらが目の前にある限り影響を受けているのですから
また日本画と銘打ってる楔から脱出するために、
若しくは望んで自ら飛び込んで
印象派やシュルレアリスムなどの概念や思想、技術を導入し
現代の日本画を構成しているのではないでしょうか?
(別名混沌状態)
この和洋折衷趣味から脱出しようとした。結果
(和洋折衷の走りは狩野芳崖ではないでしょうか?
悲母観音図などでよく言われるように画題は伝統的なのに、
構図は聖母マリアとイエスキリストや飛天と天使をダブらせてるなど)
より洋に転んでごちゃごちゃに
それに美術団体も月日が経った結果、歴史があり
義理と人情の枠や院展のトップと東京芸術大学の学長が一緒という様な
美術と教育と政治の繋がりなど問題があるのではと思いましたとさ
美術、芸術と政治、宗教の繋がりは別に悪いとは言いません
それで発展したと言える面あるので、
法華経の狩野派や本阿弥光悦、白蓮教と文人画や坊さんと禅画や
画院制度と皇帝やイコンと東方正教会やラファエロのヴァチカンの天井画や
ファベルジェのImperial Easter Eggなど
例は沢山あり、また庇護者になる場合もあるので
でも同時に美術と政治が結びつくことにより
停滞すること、若しくは政治利用もあるので、例えば狩野派の絵手本主義や
横山大観の直接的に戦争を描く行為はしてないけど、だから戦争画ではないけど
でも翼賛はしてる絵や反対路線のいわさきちひろの絵など
ただ政治的に繋がりがあるから絵が好き、嫌い、
巧い、下手また和や洋だから良いとか、悪いとか
では無いと思いますが・・・

そういうので好きと言うのなら完全に踊らされてると思います。
作品の後ろにあるなんらかの意思を持ったものに、
(ただこの意思に踊らされるのも良いのか悪いのか難しい)
結局は個人の意志の問題か?

話が纏まり無さそうなのと眠たくなってきて考えられないので
途中ですが以上、
この辺で駄文で失礼

コメント