4月7日の日記

2006年4月7日 読書
ジョンコルトレーンの至上の愛を聴いたのですが、
結構いけますね。
難しい難しいと言われてますが、
その聴いた瞬間の難しさは相変らずですが、
(Giant Stepsなんかと同じで)
1〜2曲聴いて慣れてきたら、心地よいです。
だたこれをジャズと言っていいのかどうかは難しい気がします、
コルトレーン的音楽なのは判りますが、
メニューイン(クラッシックのヴァイオリニスト)が
ラヴィ・シャンカールと競演したアルバムや
グラッペリと競演したアルバムが
、果たして何になるのかというのと同じで
クラッシクなのか、インド音楽なのか、ジャズなのか、
現代音楽なのか?
メニューイン的音楽なのは判るけどジャンル分けは出来ないみたいな・・・至上の愛にも似たようなモノを感じました。
コルトレーン的音楽でOKだけどジャズかと問われれば判らない、
違うような気が・・・
宗教音楽の方が近い気がします。お経とか念仏の親戚みたいな

それと面白いなと思ったのは、
コルトレーンもメニューインと同じで
ラヴィ・シャンカールに興味持ってる事、
なんでこの1960年代。1970年代といのは
時期にみんなインドへ興味向けるんでしょう。
他サンタナやジョージ・ハリソンもそうですよね。確か
その事思ったらメニューインはインドに興味持つの早いですね。
52年にラヴィ・シャンカールに興味持つのですから

インドへ興味向けるのは
ベトナム戦争とか、公民権運動とか、
そういう社会情勢的なモノなんでしょうか?
若しくは思想関係(自分を見つめ直すにはインドが必要だった?
キリスト、ユダヤ、イスラムの砂漠の宗教には無いモノがあったんでしょうか。メニューインのラヴィ・シャンカールとの競演盤も
どちらかと言えば至上の愛の様に精神的な気がしますし)
それともリズム的に魅力を感じるものがあったのでしょうか?
今までに無い東洋的なリズムに
なんか判りませんが、
何故に一斉にインドへ向く方向かは謎です。

本日の一言 今度から自転車にも道路交通法守らないと赤切符
切られるそうですが、
それは、当然ちゃあ当然だと思いますが、
(携帯電話で喋りながら乗るとか、無灯運転、30キロぐらいだしてるのにノーヘルとか、道路逆走とかいずれも危ないですから)
でもそれより前に道路交通法で自転車の地位を明確にしろよと思うのは私だけでしょうか?
車道も歩道も危なくて、走れない、現状をどうにかしてと
車道はそもそも走るスペースが無いしそれに、
寄せてくるマナーの悪い人がいるし
(全てのドライバーがーそうだと言いませんが、また自転車側にも車の後ろの走るや右側走るなどマナーの悪い人もいますし)
歩道は当然狭いし人が歩いてて危ないし、
今回の赤切符でこういう問題に日の目が当たるといいのですが、
でも国土の狭い国では打開策(道広げる、自転車道を作ると言うのは)が無いから厳しいかなぁ?
あと一時期自転車は車道を走るのを禁止する法律を作るなどという話がありましたが、どうなったのでしょう。
最近話しを聞きませんが、この問題と絡めてもう一度出てきそうな予感がしますが、何処へ?

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