曽我蕭白と伊藤若冲の絵(いずれも水墨の作品)が並んで出てたのですが、今回同時に見て二人の違いがよく分かって、非常に良かった。

曽我蕭白の絵は減筆で非常に荒々しい。
今回観た寒山拾得なら着物の部分や背景の描写
でも同じ絵に凄く細かい部分がある。
寒山拾得の着物から露出している部分の顔や爪の描写は神経質に描き込んでいる。
今まで何故曽我蕭白の絵から感じる不安定さというのは一体なんなのか分からなかったけど、
正反対のモノが同じ絵の中にあっるから、非常に怪しい感じに輝くのではないでしょうか?
描写的なものもあると思うけど、この正反対のモノを一つの画面の中に埋め込む要素が非常に大きいと思いました。

伊藤若冲の絵は、形態に拘って微細に描く絵と
それよりも正反対の作者の意想、表現を重視する絵がある、
二人とも持ってるものは似てるけど、
でも伊藤若冲は蕭白の様に、微細に描く絵と意想、表現を重視する絵を一つの画面で表現しない、だから絵に安定感がある。
いずれも強烈だけど絵を観てて蕭白の様に不安を感じる事はない

この不安感は個人の技術面やそれぞれ個人の社会的地位や経済事情など絵以外の要素も関係あると思いますが、

その差を今回観ててあるなぁと思いました。
さらに欲を言えば長澤芦雪の絵を同時に観たかったです。
きっとこの三人の絵が並ぶと普段と絶対違う視点から観れるので、
それぞれの違う個性が際立って、時代的にも同時代ですから、
代わりに海北友松の元は建仁寺の襖絵の雲龍図が展示されていましたが、
これもなかなか個性が強い絵で面白かったです。
描き方が龍本体が際立って見えるように、周りをたらしこみや墨の線でぼやかして、
浮き立つように、龍を描いて。多分宗達の雲龍図に近い描き方。

この三者を見比べていて思ったのですが、
時代が社会的に不安定だったりすると
(明末清初期の八大山人、石濤、徐渭や日本なら幕末の月岡芳年、河鍋暁斎、絵金など)奇矯な絵が登場するとよく言われますが、

曽我蕭白、伊藤若冲、長沢芦雪の場合もそうなんでしょうか?
海北友松の場合は戦国時代なんで、何となく分かる気もしますが、
曽我蕭白、伊藤若冲、長沢芦雪の場合は時代的には結構安定してる気がするんですが、後の黒船来襲以降の時代の南画と呼ばれるジャンルの絵が発達し終焉に向う頃と見比べるても
はっちゃけ具合ではこの三者負けを取らないと思いますが
だからこの説はこの三者には当てはまらない気がします。
逆に社会が安定してるから、それだけ無茶しても受け入れてくれるモノがあったいう事は無いのでしょうか?
奇矯な絵と眼で見るのではなく、狩野派や大和絵の伝統的な絵以外の新しい部類の絵として解釈するのは、無理なんでしょうか、
長沢芦雪は元は円山派だし伊藤若冲は黄蘗僧の水墨、明清画に学んだと言いますし
曽我蕭白は曽我派末裔と名乗って、奇矯さに正当性を与えようとしていますし
曽我派と名乗って狩野派や円山派に対抗しようと言う要素はなかったのでしょうか
個人的には後者の方が合ってる気がするんですが、どうなんでしょう?

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