今回の展示会は今まで民芸の作品と民芸運動に影響を受けた、
若しくは民芸運動に参加した作家を
同時に見るという事が無かったのでなかなか貴重な経験でした
ざっと思った印象を(主に陶芸ですが)

バーナード・リーチは下記の作家と比べると、
一番素朴で、(色彩やデザインが)
李朝とか、日本の地方の陶工が作った作品などの影響を受けて作品を作ってる。
外国人なんだけど誰よりも東洋趣味、
東洋趣味というより、民芸趣味
また落ち着きがあると思いました
あと日本の陶工が作った作品よりもどちらかというと
李朝の作品の影響が強いのではと思います
河井寛次郎や浜田庄治が日本の地域的な土着的な陶芸に影響受けてるのに対して

河井寛次郎の作品は観てて何故か堂本印象の抽象画をなんとなく思い浮かびました。古典的な作品の模倣じゃなくて、
オリジナルの作品になると
陶器の形のデザインや中の絵柄や、色彩の使い方など、
特に金や黒の色使いなど非常に共通点がある気がします。
あと河井寛次郎のオレンジの使い方は棟方志功の版画のオレンジとも通じる部分があると思いました。
余談ですが棟方志功は版画の線の部分は絵文字の墨の部分と
人物は虫食い仏と繋がりを感じました

浜田庄治はシブイの一言ですね。
決して富本憲吉や河井寛次郎の作品と比較すると鮮やかな色使いではないのですが、
地味な色で、組み合わせているのに美しく感じました。
金や赤、黄と言った煌びやかな世界ではないけれど、
使っていても発色具合などがもっと地味で、
整理整頓された地味ながらも統一された完成された世界観があると思いました
それと絵柄のデザインは河井寛次郎と共通点があると思いました。

富本憲吉の作品は新古典派という感じ
民芸運動には興味を持つも
(富本憲吉にとって民芸運動は古典の理解を深める上で非常に重要だったのではないでしょうか、過去の模倣品を作るのと同じくらい)
最終的には正反対の御庭焼の様な乾山、仁清、道八、保全なんかと同じ様な世界観を目指そうとしてると言いましょうか。
(豪華で貴族趣味な)
それでいて古典的とは呼ばれたくない。
乾山、仁清、道八、保全などの模倣とは違う。
オリジナリティを持っていて、若しくは持とうとしてる。
現代の新しい古典風の作品を目指してる。そんな印象を持ちました。

それと河井寛次郎と浜田庄治の両者の作品は観てて
両者の繋がりみたいなものを感じますが、多分民芸というものを
通して、同じようなモノを感じ取ったんだなぁと
やや河井寛次郎の方が派手めですが、
富本憲吉は作風が派手なせいか、
河井寛次郎と浜田庄治とはあまり繋がりを感じませんでした。
この辺はやはり富本憲吉と河井寛次郎が古典の模倣だけでは限界がありこのままではダメだと感じた際に
富本憲吉は、じゃあ民芸から離れてでもオリジナルティー溢れる新しい古典様式を目指そうとしたのと、
一方の河井寛次郎は古典の模倣作品を作れる技術を持ちながら、
古典から離れ、民芸という枠の中で180度違う抽象的な作品を作ったりする。方向性の差なのでしょうか・・・

あと民芸運動の方は解説などを読んでて思ったのですが、
この前読んだ「日本画」の転位の影響もあるとは思いますが、
民芸運動は横山大観、フェノロサ、岡倉天心が推し進めた。
色彩を取り入れる事や、洋画を日本の絵に取り組む行動だったり、
そういう一連の脱アジア的な行動の反発の現れもあるんじゃないかなぁと思いました。
作品の素朴さや、民芸運動に関わったのに陶芸家が多いのを考えると。多分ですが、民芸運動に陶芸家の参加が多いのは
(陶芸家でありませんが芹沢けい介、黒田辰秋などもそうだと思いますが)
江戸時代に陶芸の絵付けや、漆絵がそれまでジャンル的に
絵や画としてゴチャゴチャだったのが
明治期に日本画というジャンルを形成する上で
絵や画から弾かれたというのも関係あるんじゃないでしょうか。

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