Yehudi Menuhinは出来不出来の差が激しいので有名ですが、
このアルバムはどちらかというと悪いですけど、不出来の方ですね。(録音技術にも問題があるんだろうけど)
曲目は好みだけど

その代わりに良い時は本当にこれ以上は望めないほどと言うほど良いのですが・・・
若い頃の演奏は音が広く広がり非常に美しくて情熱的で
後年は、若い頃とはまったく違う演奏されますが、
同じ人とは思えないほどに
でもそれはそれで音に重みがあって綺麗です。

Menuhinの出来不出来の差の原因は諸説あって

脊椎の手術の影響、離婚したショック、
第二次世界大戦中の慰問演奏の過労、
ナチスの収容所の悲惨さを観たショック、後年平和活動などの本業のクラシック演奏以外に重きを置いたために
また第二次世界大戦の影響などで
必要な時に必要な技術が身に付けられなかったなど、いろいろで判らないのですが、

私が一番面白いと思った説はメニューインは技術ではなく
感覚でヴァイオリンを弾いていたという説ですね。
これなら彼が幼い頃から神童として、活躍した理由も説明できるし、(12歳でベルリン・フィルと競演されてます)
精神的にダメな時は演奏もダメになるというのにも、説明が付くし、あとMenuhinは近頃のヴァイオリニストは譜面通りは演奏できるけど、それ以上の演奏をする人は非常に少ないとコメントされてるのを聞いた事もあるので、技術以上のモノを要求される節も理解出るし、そういう思想の影響かラヴィ・シャンカールとも競演されてます。
若しかしたら国連の活動や、自分で音楽学院作ったり、
グラッペリと競演したのも
自分の精神を充実さしたいためかもしれませんね。
常に自分にとって精神的に良い状態にするために
新しいものを取り組んだり、違うものを知りたい、
若い人の演奏から刺激を受けていたいと、
そのためか、クラシックの活動以外は批判される事もあるのですが、純粋な音楽活動じゃないので
確かに演奏家としては、超一流かどうか判りませんが、
恐らく違うでしょう。
一時的にはそうであったかもしれないけど
でも人としては偉いと思いますね。
新しいモノを追い求めて、ナイジェル・ケネディを発掘し、
またユダヤ人としてドイツと文化面での関係修復をしたりと
演奏家としては余分かもしれませんけど、
でもそういう風に行動できる。
自分の持ってるものを社会に還元して
ただの演奏家より、私は尊敬出来ますが・・・
人として、
ただ演奏家と観た場合は疑問ですね。
もっとプロフェッショナルにすべきだと思いますが、
その辺がMenuhinらしい特徴なので
人間らしい一面として受け止めるしかないのでしょう。
彼のファンとしては

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