お精霊迎え

2005年8月11日 美術館へ
昨日妙心寺へ狩野探幽の龍の天井絵を観てきたんですが、
この絵はいつも私に違った印象を与えてくれますね。

私が本当に子供の頃は、この絵は蝋燭の薄暗い光で観ると本当に怖く、恐怖の対象でしかなかった。

そして数年前応挙の雲竜図を観て絵に興味を持ち、
10年ぶりくらいに観ると子供の頃の恐怖が消え、
睨みつける龍が真上から浮かび上がり舞い降りてくるかの様な
不思議な印象を持ち

次の年には何故今年のこの絵は昔ほど迫力を感じないのかが不思議に思い、
昔は電灯ではなく蝋燭の明かりを使っていたのを思い出し、
だからこの絵は昔ほど迫力を感じないのか、時代の流れと、
絵の製作者の意図を超えた、正しい見せ方をしない展示法に
寂しさを覚え、

昨年の観ると龍の絵は、かつての魔法の様なモノは解け
ただの魅力を持たない、絵に成り下がっていた。

しかしどうだろう、今年はなんとこの絵が魅力的に見えることだろう。かつて私が感じたような暗闇から突如現れ舞い降りてくるような感覚は無いが(今年も照明が明るすぎ)
狩野探幽の龍が浮かび上がるような効果を持たそうとした、
構図の巧みさ
(龍の体のねじり具合と、隈取の表現の仕方で浮かび上がる様に見えるのではないでしょうか)
筆遣いの巧さ、隈取の巧さ、狩野探幽の巧さが伝わってくる。

狩野探幽は色々批判されることも多いですが、特に政治的な部分で
幕府の制度を真似、免許制を導入したとか、
ある家に生まれなかったら出世できない制度を作ったや
狩野探幽の筆さえ真似ればよい、後が育たない創造性が欠如した制度を作ったなど、
でもこれも一定のレベルを常に維持するには非常に有効なので
必ずしも批判して良いか私にはどうか判りません。
そのお陰で何百年と言う異例の歴史を持つ派が出来たのですから
私なんかは政治手腕の方法を評価しますが・・・
それに徳川幕府が倒れ、狩野派の悪い楔が切れた際には、
狩野派を技術を根底に持つ狩野芳崖と橋本雅邦という傑出した才能が飛び出てるので、

でも画家として絵を観るとやっぱり巧い。
後年の様な崩れた狩野派ではなく、
常信と探幽と永徳と雪舟、牧啓が一枚の絵でごっちゃになった様な。
また狩野永徳らの安土桃山時代の絵とも違い
狩野探幽のオリジナル、また近代の作品とは違う巧さが絵にある。
同じ龍の絵でもまったく違う。
例えば応挙の絵なら、鱗は松の表面、角は鹿、爪は猛禽類かと
そういう他の生物や植物からパーツを組み合わ龍を描いたのだなと思う部分がありますが、この絵はそういうのが無く非常に独創的。
また、絵に三次元の要素(縦横高さ)が無いにも関わらず、平面的なのに浮き上がるように見える。

今日は何故、狩野探幽の作品が戦前雪舟と同じぐらいの値段だったのかというのがよく判る。
そして今お値段が非常に安い理由も
探幽の巧さは。近代の遠近法や立体感、色彩の鮮やかさ、
そういうモノの基準では図れない巧さ、
筆致の巧さ、筆遣いの巧さ、平面に置ける、構図の巧さそういう巧さ
今は重視しない巧さ、過去の時代の巧さ
何故今はそういう筆の巧さを絵に取り込んだ作品が無いのだろう
私は多分現代に生きているせいだと思うが
現代アートや近代の絵より、それより古い絵に出合った際の、
古い絵における表現方法の方が新しく感じる。
昔はそれを古いと切り捨てたかもしれないが、
古いモノの中に新しいモノを見つけるより、
新しいモノと古いモノが完全に入れ替わるくらい、
多分数十年100年前ぐらいだったら、
現代への繋がりと言うのがある程度、画家の師弟関係の繋がりを観ると、この人はあの人の影響があるのかなぁというのが判るけど、
もっと数百年単位で観ると、繋がりが希薄になり、繋がりの部分より
オリジナルの部分、現代では想像がつかない面白い表現があるから

しかし今年もこうやってまた絵を見に行ってしまった。
昨年は来年は止めとこうと思っていたのに
今年は視点が変われば違うモノが見えてくるというのも教えられた。やっぱり、いい絵だ。
私にとって始まりの絵の一つと言っていいくらい、

本日の一言 久しぶりにしののめのちりめん山椒を食べたんですが
味が落ちてる。じゃこの味は変わりませんが、
山椒の風味とじゃこの味付けが悪い、
どうしたんだろう。普段なら真冬でも山椒がいつ食べても効いてるんですが、
代が変わって経営方法変わったんでしょうか。・・・
残念だ。美味しい物を作っていたのに。

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