山中人饒舌

2005年5月25日
田能村竹田の画論
山中人饒舌の一部に触れる機会があったのですが
めちゃくちゃ良い事書いてある。
田能村竹田の絵は好きじゃありませんが
また一部は納得できない部分もありますが、(精神論など、また職業画家を否定的捉える部分など)
でも大方書いてあるその通りと思います。
例えば心と目と筆が一体となってなければならないとか
今の人の方が研究をつくし技術もすぐれているのに100年前の人にとうてい及ばないのは志気すなわち俗気が捨てられないからであるとか。
私は俗気は捨てる必ずしも必要だとは無いと思いますし、
また私の生きる現代に置いて過去と比べ技術が優れているかどうかも疑問です。竹田の生きた時代に置いてはそうかもしれませんが
けど技法が増え、過去の人の絵を観る機会は確実に現代の方が多いのは現代だと思います。
でも絵に画家の精神性、書き手の人格が表れるというのは本当にその通りだと思う。その絵に対する精神性を重要視するかどうか、
竹田が唱えるものが私の好みに合致するかというのは別として
日頃思ってるモヤモヤがおかげで少しですが取れました。
衰退していく文人画にこのままでは駄目だと
(文人画だけに対する言葉とは私は読んでて思えませんでした)
危機を察知している人が居て、またそれを手厳しく批判している。でも評価する部分は評価し
そういう人が居たのが判って
(必ずしも主流系の意見ではないと思います。年寄りの懐古趣味の寝言だと言われる可能性もあるでしょう)
それを批判しながらもやはりつくね芋山水と
明治以降の文人画が批判されるようにそういう流れへ進むのを止められなったのは(人材が生まれなかったのも評価的にも)
危機を察知し後世に本を残してるのに残念でなりません。
一人の力には限度がありますから。しょうがないのかもしれませんがまた文人画、文人思想は近代化の動きと逆行するモノでもありますし、竹田の理想郷を受け止めるゆとりも社会に無かったのだと思います。
でもだからこそ私は近代以前の絵に魅力があるんだと思います。
近代と逆行する部分に文人画、日本画関係無く、近代の匂い
(色んな意味で幅広く)がしない絵に

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