系譜

2005年5月6日
京都国立博物館へ狩野派の古い絵
(正信から永徳まで、松栄は無かった、あと京狩野の山雪が一枚
それと後世の安信が誤って永徳が描いたとでかく描いてる屏風もありました)を観に行ったのですが、なかなか良かったです。

正信の絵は狩野派と言うより、水墨画という感じで
あまり狩野派的なモノは感じなかった。
けど息子の元信になると正信の中国の水墨画様式から
(文人画ではなく画院系の)
抜け出した、正信の影響を受けながらも、
狩野派様式が現れ、松栄を飛ばし
永徳の絵になると急にガラッと絵が変わり永徳の豪華絢爛、
金を使いまっせの世界が現れ、
間一世代を置くだけでこれだけ絵が変わるのかというくらい
絵が変わり、着実に絵が変化し
狩野永徳以降も、今回実物の絵は観れてませんが、
狩野派の古い絵を観ながら
過去に見た狩野探幽の絵を思い出すと、
探幽には永徳を進化させた金の使い方あり、
でも一方で元信の様式あり、また大和絵の絵の要素もあり様々な
要素が組み合わさってもなお自分の絵があるというのがわかり
過去を振り返り、道は繋がってるだなあという事が実感でき
ただ本などで読み名前だけで過去を知るのではなく視覚的体感的に繋がりがでも違いがあるのがわかり
非面白い経験をさせてもらった展示会でした。
あと真筆若しくは限りなく真筆に近い作品ばかりを観れたと言うのも今後絵を見る際に比較できるので良い経験でした。

本日の一言 メニューインのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータを聴いたんですがなんですかこれは?
横山大観の絵の様に、ここぞとばかり見よがしと嫌味なくらい
見せ付けて普通ならここでカチンときて、
クラシックなんか嫌いじゃ〜となるんですが
でもこの演奏は巧すぎて嫌味を通り越して素晴らしさが前面に溢れてて私には、はっはははと笑うことしかできない。
こんな演奏するなんて化け物だ。
ややヒステリック気味ですがでもこのヒステリックぶりが良い。
狂ってるか、狂ってないかギリギリで、迫ってくるようで
巧さもそうだけど音色に恐怖を感じたこんな経験は初めて
ステファン・グラッペリ(ジャズヴァイオリンの巨匠)
がその昔テレビ番組のために、競演の話を持ちかけられた際に
私は一介のフィドーラーで向うはクラッシクのマエストロだから無理と最初辞退した理由が理解出来た。
こんな演奏する人とは競演する気にならないわ。

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