2月24日の日記
2005年2月24日本日京都市近代美術館でしてる河井寛次郎の展覧会を観てきたんだけど、これぐらいだったら青木木米や永楽保全、仁阿弥道八の方が好きですね。河井寛次郎にバリバリの京焼きを求めるのは筋違いだと思いますが京都でも作っていますが元が東京高等工業学校出身の人なんで
今日始めて河井寛次郎の作品をまとめて見たんですが
私の河井寛次郎に対する印象ですが作品は、特別繊細でもないしまた特別豪快でもないし、結構分厚い作品を作る人ではないかと
若い頃の中国陶磁器の模倣作品を作ってる頃でも
それと完璧主義の作家では無いと思いますね。観てて
後から傷がいったのかどうか判りませんが、
接いでたり、フチが欠けてたり
色の発色が微妙にですが中心と色が違っていたり結構あったので
あとどこか工業製品的といいましょうか、大量生産の匂いがしました。
それに引替え仁阿弥道八などは、やっぱり仕事がプロフェッショナルと言いましょうか。
物凄く洗練されていて一点モノちゅう感じがするんですよ。
実際にはそうでなくてもさすが世の中の限りなく本物に近い伝仁清や
伝乾山や伝光悦は道八や保全が作ってると言われてるだけの事はあるなと思います。確か御庭焼として幕府や三井や住友などの豪商秘蔵の仁清や高麗の高価な茶碗などを模倣させると完成品は箱書きがないとどちらが本物か判らない若しくは本物以上の品がそこに
と言う話が残ってますもんね。
この両者の差は一体なんなんでしょう。
やっぱり民芸運動なんていうモノの影響なんでしょうか。
でも河井寛次郎は田舎臭いというのとはまた違うんですよねぇ。
田舎臭さだったら、技術面や発色の具合を除いて
乾山や仁清の方がずっと作品としての印象は田舎臭いと思いますが、
とろ臭い感じが
その点河井寛次郎は田舎臭さくはないと思います。
特別芸の込んだ洒落た作品を作るとも思いませんが、それは繊細さを感じないからだと思います。これと逆の厚い作品というは感じますが、
あと独創性は非常にあると思います。
(その創造性が好きかどうかは個人の趣味ですが)
それとも技術力の差なんでしょうか、
今ほど技術が無い時代に道八や保全はアレだけのモノを残せるというのはこれだけ環境面の技術(窯の温度調製など)が発達しても、あんな仕事は現代では出来ないというのは・・・
あと不思議に思ったのは今回の展示会では赤絵や呉須の作品は無かった事ああいう奥田頴川門下達の作風は商業的に時代的に受けなかったんでしょうか。特に中国趣味の作品は・・・
若しくは自分が興味を持たなかったか、河井寛次郎は中国陶磁器の模写はしてるけど、彼自身は中国趣味の人ではないと思うので印象的に
だからでしょうか?
この辺はちょっとわかりませんが、
でも赤絵や呉須の作品を作ってない所は非常に気になります。
やはり京焼きの影響なんでしょうか、かといって物凄く京焼きちゅう感じの作品を作るわけでもないし
疑問点ですね。もう少し本を読むか調べないと、でも調べて知りたいという作家ではないし
まあぼちぼちの展覧会ではないかと、可もなく不可もなくということで
あと常設展の水墨画が結構面白かったです。岸派の絵があったりして
横山大観と竹内栖鳳が全面的に出て絵を統合しちゃう前の絵が観れて
今日始めて河井寛次郎の作品をまとめて見たんですが
私の河井寛次郎に対する印象ですが作品は、特別繊細でもないしまた特別豪快でもないし、結構分厚い作品を作る人ではないかと
若い頃の中国陶磁器の模倣作品を作ってる頃でも
それと完璧主義の作家では無いと思いますね。観てて
後から傷がいったのかどうか判りませんが、
接いでたり、フチが欠けてたり
色の発色が微妙にですが中心と色が違っていたり結構あったので
あとどこか工業製品的といいましょうか、大量生産の匂いがしました。
それに引替え仁阿弥道八などは、やっぱり仕事がプロフェッショナルと言いましょうか。
物凄く洗練されていて一点モノちゅう感じがするんですよ。
実際にはそうでなくてもさすが世の中の限りなく本物に近い伝仁清や
伝乾山や伝光悦は道八や保全が作ってると言われてるだけの事はあるなと思います。確か御庭焼として幕府や三井や住友などの豪商秘蔵の仁清や高麗の高価な茶碗などを模倣させると完成品は箱書きがないとどちらが本物か判らない若しくは本物以上の品がそこに
と言う話が残ってますもんね。
この両者の差は一体なんなんでしょう。
やっぱり民芸運動なんていうモノの影響なんでしょうか。
でも河井寛次郎は田舎臭いというのとはまた違うんですよねぇ。
田舎臭さだったら、技術面や発色の具合を除いて
乾山や仁清の方がずっと作品としての印象は田舎臭いと思いますが、
とろ臭い感じが
その点河井寛次郎は田舎臭さくはないと思います。
特別芸の込んだ洒落た作品を作るとも思いませんが、それは繊細さを感じないからだと思います。これと逆の厚い作品というは感じますが、
あと独創性は非常にあると思います。
(その創造性が好きかどうかは個人の趣味ですが)
それとも技術力の差なんでしょうか、
今ほど技術が無い時代に道八や保全はアレだけのモノを残せるというのはこれだけ環境面の技術(窯の温度調製など)が発達しても、あんな仕事は現代では出来ないというのは・・・
あと不思議に思ったのは今回の展示会では赤絵や呉須の作品は無かった事ああいう奥田頴川門下達の作風は商業的に時代的に受けなかったんでしょうか。特に中国趣味の作品は・・・
若しくは自分が興味を持たなかったか、河井寛次郎は中国陶磁器の模写はしてるけど、彼自身は中国趣味の人ではないと思うので印象的に
だからでしょうか?
この辺はちょっとわかりませんが、
でも赤絵や呉須の作品を作ってない所は非常に気になります。
やはり京焼きの影響なんでしょうか、かといって物凄く京焼きちゅう感じの作品を作るわけでもないし
疑問点ですね。もう少し本を読むか調べないと、でも調べて知りたいという作家ではないし
まあぼちぼちの展覧会ではないかと、可もなく不可もなくということで
あと常設展の水墨画が結構面白かったです。岸派の絵があったりして
横山大観と竹内栖鳳が全面的に出て絵を統合しちゃう前の絵が観れて
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