日本画は線

2005年2月19日 美術館へ
本日某芸大の作品展に行って来たんですが、
やはり線で描いてある日本画というのは無いですね。
もっと分かり易く言うと水墨の絵が一枚も無し
まあ今の日本の住宅事情や、買い手が無いという事情や
過去の圧倒的に巧い画家達と比べる事になるので描かないのも分からないではないですが、でも一枚の無いのはどうかと)
みんな面だどうして今の絵は全部線でなく面で表現しちゃうんでしょう。あとぼかした様な表現洋画はまぁそれで良いとして、
日本画は絶対線が重要だと思いますが
昔の日本画って絶対に線で表現してあり、面ではない。
(琳派は例外かもしれませんが、でも線の要素が無いという訳では)
昔と言っても何百年も前でなくて近代の世代ぐらいまでは
例えばですが堂本印象は抽象画であっても線なんだけどなあ
(堂本印象の好き嫌いは別として)
あと土田麦僊も、時期によっては違う感じの絵もあるけど
私の趣味がおじん臭いだけなのかもしれないが、
面の絵はどうも好きになれん。ぼかした様な絵は
やはり日本画は線だ
私最近思うんだが線で描かないのは、やはり線ゆえの一発勝負的なところがあるからじゃないでしょうか?
面で表現してたり、ぼかした表現ならもしもミスっても補修は効きますが線だと効かないからじゃないでしょうか。
線だと失敗したりびびったら一発で判りますから。
線のブレなんかは、その点面で表現すると
最初からそういう表現方法がありませんから問題ありませんし
補修も出来るし安全策なんでしょうか?
それともみんな日本画を学んでるのにも関わらず筆が下手なのか
いくら鉛筆で巧くデッサン出来ても、日本画には鉛筆は不要ですからもしもそうだとしたら悲しいですね。
私は日本画の一発勝負のやり直しが効かない部分に魅力を私は感じるのでもっと意欲的に貪欲に吸収して挑戦して欲しい。
そして新しい絵を作って欲しいと思ってるんですが
しいては、洋画と日本画の統合を日本画が洋画を飲み込む形での。
あくまで飲み込まれるのではなく主導権は日本画が持つ形で
(現在は飲み込まれてるので)
若しくは近代以前の日本画の回帰へと思ってるんですが
ただの懐古ではなく、新しい創造のためへの懐古と
近代の日本画の全てを否定するわけでは、ありませんが
(好みは別として)
話が逸れますがこういう時に狩野芳崖が長生きしてたらと思ってしまいます。今ほどには過去の狩野派や雪村を軽んじないんではないかと
でも現在の状況では限界みたいなモノが見えてるのも確かでしょう。また限界だと感じ思っていても、
それを打破できるだけの才能が無いのも
なかなかそういう絵と出合えませんね。探してるんですが
というか果たして私が生きてる間にそういう絵とであるでしょうか
疑問ですね。
近代中国絵画の巨匠と言われてる張大千(Zhang Daqian)
でさえ数百年に一度の逸材と呼ばれてますから。
でもしてるのは中国絵画史上最高と言われる
八大山人のパクリとも言われるのが現状ですから無理なんですから。でも張大千はいつも思うのですが西洋画の影響を上手に消化してますよね。この点では素晴らしいと思います。
自分の本来のフィールドの水墨画を壊さず西洋画の良い所を取り込んで、また新しい世界作ってるという点は、ただ彼の贋作作りは感心しませんが、でもそれだけ素晴らしい贋作を作れるほどに
大英博物館などの眼を誤魔化せるほど、
古いものに精通してたからこそ、
新しいモノが作れるのかもしれません。
張大千の作品に興味のある人はオークションハウスのSotheby’sのホームページで探すのが手っ取り早いかと
私はそろそろ年代的にも大きな才能を秘めた画家が日本にも登場しても良いと思うんですが、
日本の現代のの教育システムや社会環境では無理なんですかねえ、
というか日本画の分野ではもう無理なんでしょうか。
そういう絵を期待するのは・・・
今回の展覧会を観ていて私はそう感じました。
別のジャンルでは光みたいなモノも感じましたが好みにあらずと
これから年代重ねていくと、先生の方も生徒に教えられなくだろうから。現状でこれでは将来は・・・
上記したようにいくら鉛筆で上手にデッサン出来ても日本画は筆ですから、筆が上手に使えないのでは、
技術はその人が表現したいモノの道具に過ぎないと判っていても
またその表現したいモノの方が技術より重要だと判っていても
技術がないと表現できないというモノもあるので重要だと思うのですが、その人が表現したいモノほどは重要でなくとも
両方を求める私は贅沢者なんでしょうか
両方を求めては画家に対して酷というものなんでしょうか。

本日の一言 Sotheby’sでオークションに掛かってる。張大千の絵が欲しい
誰か誕生日プレゼントに買って

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