ぼやき

2005年2月16日
世の中事件が多く追いつけない今日この頃ですが、
レバノンの前首相暗殺など
ゆとり教育の話でも、結局ゆとり教育見直すんですね。
私いつもゆとり教育の話を聴くと疑問に思うんですが、
そもそもゆとり教育を受けてない、人がゆとりなどと言うものを教えられるのでしょうか。
またそういう教育プログラムを受けてない人が出来るのか
まずゆとり教育というとまずここが疑問に思うんですよね。
次にゆとり教育に本当に金つぎ込んでるのかと、
私よく美術館に行くんですが、その際に必ずといって良いほど
修学旅行で来ている学生というのを見かけるんですが、
大概の場合展示物を観ずにただ館を回ってるだけなんですよね。
どんなに素晴らしいモノがあろうと、
雪舟。、応挙、海北友松、芦雪、天目茶碗、野々村仁清だろうと
その子達の時間的都合や興味の具合もそれぞれなので一概には言えないと思いますがこういう子供たちに興味を持たす事はできないのでしょうか。例えば国立博物館には常時学生向けの解説員を置くなど。
学校で習う美術教育など高々知れてるんですから、
特に義務教育は、あってもせいぜい、西洋美術に偏っていたり、中途半端な近代の日本画だったりと。
失礼だが平山郁夫や中島千波では興味を持てんと思うが、わけのわからんほんとうの芸術などと言われるものでは
この辺は私の偏見や趣味の問題もあると思いますが、
でも少なくとも私はそうでした。
また教える側も本当に理解してるかどうか判らないくらい中途半端な
教師と
必ずしも良い教育を受けてるとは思えないんですよ。
学校では横山大観や雪舟、野々村仁清、レンブラント、モネなどは習うかもしれないけど。
曾我蕭白や海北友松、チンナンピン、エロール・ルカイン、ティンガ・ティンガ派、奥田頴川は習わないでしょう。
せっかく目の前にそういう学校で習わないい作品があるのに無視してしまう。これって物凄く惜しいことだと思うんですよ。
もしかしたらそのモノを観た事、出会ったことで、その子の目が広がるのかもしれないのに
(ひろがるかどうかは別として機会は大切ですから)
こういう場に学生向けの解説員を置けないものなんでしょうか。
常時いる。そんな専門的ならずトークの巧い人を、
そこに置いてある絵の名前と作者以外のモノを伝える事が出来る人を
もう少し興味持たせるように、できないのでしょうか。

近年偉大な芸術家が誕生しないとよく嘆いていますが、
まずそういうモノに興味を持たす事を怠ったてる
現状では無理なんではないでしょうか。
それをするしないは別としてまず入るかどうかは別として
(それは個人の問題ですから)
でも開けた入り口を作ることは必要なのではないかと・・・
芸術家にならずともそれを批評できる人間そこまで行かなくても、
興味を持たす事が出来る可能性があるんですから。
芸術分野に限らず、なんでも

文化が無い教育はろくなモノにならない(若しくは創造性の欠如は)
文化なき教育が作るのは人ではなくロボットだと思うのですが

政治家たちは一体何を考えてるんでしょう。
子供で実験するなちゅうねん。
数十年後に現行のゆとり教育なり総合学習でどういう格差がでるのか、
(今後廃止の方向で向かうと思うので)
そんな人の一生賭ける無責任な賭けはやめていただきたい。
自分達の子供は私立に入れるからとか、海外で教育させるから
大丈夫とタカを括ってるん思ってるんでしょうか。

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