日展をしてるという事で、京都市美術館へ行って来たんですが、
感想は帰りしなに寄った細見美術館の普段嫌いな
鈴木其一の絵が素晴らしく良く観えたということで
個人的な日展を観に行って絵に対して特に日本画に2つの疑問を持ちました。
以下私の疑問
その1 洋画と日本画の違いが判らない。
また区別必要があるのかどうかが判らない。
そりゃレンブラントやエルグレコと雪村や狩野探幽の区別は
(別にここまで古くなくとも、堂本印象の若い頃とか、竹内栖鳳くらいでも)洋画と日本画のとして私にも判りますが、
昨日の観た絵ではジャンル的にどれも同じに見える。
日本画の所に展示してあっても、それとよく似た絵が洋画の所でも出てたという気がする絵が多い
また日本画と展示されていてもその絵を洋画と日本画どちらの比率が高いかというと、洋画の要素が多く洋画の中に取り込まれた日本画という印象を持つ。
日本画が洋画を取り込んだという印象を持つが無いのは何故か
この洋画と日本画を組み合わせ、いかに日本画を作るのかというのは
幕末前後からの課題ですから、別に今の画家には解決は求めません。
今回展示してあった大半の作品の西洋画、日本画の違いは私には絵の具の差しか判らない。
その2 日本画に何故墨絵が無いのか、ベタ塗りの厚く塗った絵ばかりなのか、
ベタ塗りの絵とはイメージ的に池田遙邨や平山郁夫のような絵の具を重ねて重ねて描いてる絵の事を指すと思ってください
また余白を生かした絵が無いのか、余白を潰すのか
そりゃ昔と展示する所が違うから、
絵に厚味が必要という意見もわからなくはないですが
全部が全部厚塗りのベタベタした絵というのはどうかと。
勿論ベタ塗りの絵も必要だとは思いますがやはり修正が効かない一発勝負(硬筆画とか水墨のような)
の昔ながらの日本画というの絵も必要なのではないかと。
いずれにしても上記二つの疑問は最終的には技術的な所に結びつくんだと思うんですが、(感覚面では無く)やはり今の画家は昔と比べて
それだけ筆を使うのが下手になったという事なんでしょうか。
それとも絵を観る側の私の感覚がおかしいのか。
どちらにしろ個人的な感想としてはイマイチだったと思います。
感想は帰りしなに寄った細見美術館の普段嫌いな
鈴木其一の絵が素晴らしく良く観えたということで
個人的な日展を観に行って絵に対して特に日本画に2つの疑問を持ちました。
以下私の疑問
その1 洋画と日本画の違いが判らない。
また区別必要があるのかどうかが判らない。
そりゃレンブラントやエルグレコと雪村や狩野探幽の区別は
(別にここまで古くなくとも、堂本印象の若い頃とか、竹内栖鳳くらいでも)洋画と日本画のとして私にも判りますが、
昨日の観た絵ではジャンル的にどれも同じに見える。
日本画の所に展示してあっても、それとよく似た絵が洋画の所でも出てたという気がする絵が多い
また日本画と展示されていてもその絵を洋画と日本画どちらの比率が高いかというと、洋画の要素が多く洋画の中に取り込まれた日本画という印象を持つ。
日本画が洋画を取り込んだという印象を持つが無いのは何故か
この洋画と日本画を組み合わせ、いかに日本画を作るのかというのは
幕末前後からの課題ですから、別に今の画家には解決は求めません。
今回展示してあった大半の作品の西洋画、日本画の違いは私には絵の具の差しか判らない。
その2 日本画に何故墨絵が無いのか、ベタ塗りの厚く塗った絵ばかりなのか、
ベタ塗りの絵とはイメージ的に池田遙邨や平山郁夫のような絵の具を重ねて重ねて描いてる絵の事を指すと思ってください
また余白を生かした絵が無いのか、余白を潰すのか
そりゃ昔と展示する所が違うから、
絵に厚味が必要という意見もわからなくはないですが
全部が全部厚塗りのベタベタした絵というのはどうかと。
勿論ベタ塗りの絵も必要だとは思いますがやはり修正が効かない一発勝負(硬筆画とか水墨のような)
の昔ながらの日本画というの絵も必要なのではないかと。
いずれにしても上記二つの疑問は最終的には技術的な所に結びつくんだと思うんですが、(感覚面では無く)やはり今の画家は昔と比べて
それだけ筆を使うのが下手になったという事なんでしょうか。
それとも絵を観る側の私の感覚がおかしいのか。
どちらにしろ個人的な感想としてはイマイチだったと思います。
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