12月3日の日記

2004年12月3日
年内恐らく最後の見る機会だろうと言う事で、先日泉屋博古館で応挙の絵を観て来たんですが、
この際に改めて円山派若しくは円山4条派とは何かについて考えました。この日記で過去に何回も書いていますが今回も新しいモノが見えた気がするので再び
先に断っておきますが、この考えは暫定的なモノです。
今私がどう思ってるかであり、決定的なものではありません。

私の考えではですが、今現在円山4条派とか円山派と言われてる絵は
あくまで呉春(松村月渓)の絵であり応挙とはまったく違う気がするんですよね。
(竹内栖鳳は、呉春より応挙に近いじゃないかと言われる人もあるかと思いますが
竹内栖鳳は円山派ですが、個人的には古い円山派より横山大観なんかと同じ部類に入ると思うので除外します)

呉春の師匠は応挙ですが、狩野派の様に探幽様式を弟子に絶対的に受け継がす印象は応挙呉春の間には無いです。
その話は精神とかそういう問題じゃなくて、画風とか技法いう意味で
技法とか描き方を受け継いでるのは源?の方だと思うんですよ。
呉春よりでも源?は精神性といいましょうか、
そういうモノでは呉春と比べた際に応挙と繋がってない気がします
源?は限りなく応挙に近い応挙の描き方を模倣してますが、その意味では呉春より巧い。
でもあくまで応挙の描き方の真似であって、
私が思うに応挙というのは非常に貪欲で、ありとあらゆるモノを絵に取り込むタイプだと思うんですが
(仮に失敗してでも)
源?はある時期の応挙の真似は出来るけど
応挙風から脱皮してないんですよ。巧いですが
ですから応挙風に限りなく描ける腕の良い職人なんですよ
だから応挙とはまったく違う気がします。
源?は応挙の後追いは出来るかもしれませんが
応挙より先を走る事は無理なんで

呉春と応挙の絵を比べた際に巧さは置いといてどちらが洗練されてるかというと
私は呉春の方が洗練はされてると思います。好みの問題は別として
これは呉春のもう一人の師匠与謝蕪村とも関係あると思いますが省きます。
応挙は上記しましたが、貪欲に吸収するから絵に洗練さがありません。
(これが応挙の良さでもあるんですが嵌れば最高だと思います。はずれも多いけど)
私などは絵を観てると随分無駄があるなぁと思うんですが、
一つ一つは物凄く巧いんですが一つの作品となった際に、纏まりが無い。統一感がないといいましょうか、
恐らく余り溢れる画力のせいで(若さのせいもあると思います)
応挙の絵を観てると、ここをさっきと変えたろうとか、こういう風に描いたら面白いだろうなぁとかそういうのが伝わってくるんですよ
雪村なんかと比べるとよく判って良いと思います。
雪村は絵に統一感とパンと取得しようと思えば出来るモノを
スパンと切って自分で必要なモノだけを選択して会得してるから
洗練さがあるんだと思いますが

応挙にはその洗練さが無いです。決してヘタと言ってるんじゃないですよ。だからある意味洗練されてないからこそ彼の作品を観るたびに違う断面を観れるので新鮮さを感じるんだと思うんですが
この辺りが応挙と円山派や円山4条派の違いではないでしょうか、
その人に何かを教えようとしたり、後々まで伝えようと思うのに
その元の見本がしょっちゅう変わるのでは見本にならないじゃないですか。
(例えば狩野探幽は自分で動植物を写生した簡単なデッサンは残していますが、でもちゃんとした絵としては、写生画を残してないじゃないですか、今までと画風が大きく変わってしまうような)
ちゃんと見本がないとこの場合だとコロコロ絵が変わるのが、手本だと思う可能性もあるので
だから(個人の才能の問題もあると思いますが)
呉春の絵が円山4条派が類似していて円山4条派が円山とついているのにも関わらず応挙とは繋がりを感じ難い、
どちらかと言えば応挙の弟子たちに通じる部分を理由ではないでしょうか。そんなに激しく変わらないある意味応挙より完成してる呉春の方が模倣するには容易であったので、
円山4条派=応挙のイメージより、円山4条派=呉春、松村景月などの方が強く感じるんではないでしょうか

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