9月14日の日記

2004年9月13日 ぼやき
最近思うんですが、適度なストレスといいましょうか、圧迫感などそういうモノがまったく無い状態とある状態と比べるとある方が良いですが、かといって在り過ぎるといいましょうか、存在が大きすぎると問題ですね。(大きさは人それぞれだと思いますが)

私の場合ですが適度なサイズまでなら、そのストレスなり、圧迫感、不安感をどうやって排除するか、逃げ出すか
またそういうモノが大きくなった際の逃れ方、
(私の場合は美術品を観るとか、自転車に乗るとか、コントラクトブリッジをするとか、本を読むとかです)
捌け口、アイデアが湧いてきて良いのですが、解決しようと
不安感なら、そうならないように気を付けようといい効果を生むんですが

今度大きすぎるときに考えると、この考えにとりつかれてこの考えの中でしか考えなくなり
どんどんドツボに入ると言いましょうか、底なし沼に入ってく感じで、
その内悪い面しか見えなくなり、発想が悪い方へ悪い方へ向いちゃって
今度は悪い発想が心配になって心臓はバクバクしてくるしまったくダメですね。
こんなの馬鹿げていると判っていても、考えちゃって
そういうしょうも無い事考えてると、
まったく別のとこから考えが浮かんできて
人一生短いのにこんなアホな事考えてどないすんねん。無駄ちゃうんかい他のことせえよという考えが浮かんでくるにも関わらず、
判ってるんですよ。無駄だと。本当は
でも本当に判ってないからまた考えるんでしょうね(矛盾しますが)
また考えるという限りなく無駄な無限ループ若しくは、メビウスの輪のようになって
そこから出るのにさぁ大変という事になるので
適度というのがやっぱり大切です。

あとこの日記を書いてる途中に気付いたんですが、辛く言えば私の場合は大きすぎる場合考えるのも
これ自体ある意味現実逃避かもしれません。逃げているんですから

現実問題を解決しようとせず
現在の状況を変えようとせず、本当は変えようと思い考えているんですが、まぁ考えてどうにもならない問題もありますから。

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