今日の日記
2003年8月20日イラクで国連事務所が爆破されましたが今後国連はどういう措置を採るんだろう、
今まではそこの国の人と壁を作ってはいけないという方針で、柵とか壁などを作らなかったようだがこれからはどうするのだろうということで私なりに考えてみた
その1 上記したように国連事務所に柵や壁を作り警備員を配置する。周辺環境強化策と呼ぼう
その2 また死人が起こるようではいかんのでイラクから手を退いちゃおう案
その3 ガンジーの平和精神でこのまま現状維持案
その1の弱点は警備を強化するとイラクの国民と壁が出来るのが弱点でしょう。国連職員が亡くなる事が減っても、イラク国民と対話が出来なくなるといくら警備を強化してもテロは無くならないと言うのでは意味がありませんね。それに今回のテロも国民と国連の連携が上手くいっていなかったとも考えられので、火に油を注ぐ可能性もあり
その2は米英軍の占領が進んでしまうのが弱点ですね。イラク国民のためのイラクではなく米英のためのイラクになりますから是非ともストッパーとして国連に関与して欲しい、
手を引いちゃおう案は援助団体にも影響を与えるのも考えなくてはいけないんではないでしょうか。国連も手を退いたから私たちも手を退こうというのは必ず出てくると思います。そりゃそんなものはまったく気にせず活動するグループもいると思いますが必ず手を退くグループもいると思います。それとイラク国民にテロに国連は負けたと印象を持たれるのも損な点でしょう。
その3の弱点は理由は簡単です。テロが現状で起こったという事は第2弾も考えるわけで、
国連の強さと、意思の強さを示すには、イラク国民、テロリストにも伝わると思いますが、死人は減らんでしょうね。
で私の結論はその1とその2を併せた案でいくのが妥当ではないかと、バランスは非常に難しいと思いますがそこは腕の見せ所ではないでしょうか。
それと話が多少横道に逸れますが、首相が今回のテロのため自衛隊派遣を延期すると言っていますがそんなもん延期してどないするねんと言いたいですね。どっちみち派遣するなら人に一番役立つ時にしなくては、どっちみち派遣を決めた時点で死人がでるのは判っているんですから、何時に派遣しようと一緒でしょう。そんな人に役立たない派遣だったらそもそも人員を派遣しないで、金銭や物資、食料をど〜んとした方がマシでしょう。
その方がずっと役に立つとおもいますね。
本日の一言 誤りから救うものを読む前にアガサ・クリスティーのナイルに死すを読んでいたんですが途中でおっ放り出して本を読んだのでカール・ベスナーの登場の仕方が思い出せない。しかも他の登場人物は登場の仕方を覚えているのに、しょうがないので諦めて読んでいますが、どうもカール・ベスナーの印象が判らない。他の人物は判るのに、やはり、もう一度読み直すべきなのでしょうか。でも最後まで読んで事件に関係なかったらムカツクしな、一体どうしたらいいんでしょう。
以下は本の感想です
先日本屋に行って見るとアル・ガザーリー(1058〜1111年没)の誤りから救うもの、という本が売っていたんで、突発的に買ってしまったのだが、まず本が高い、ちくま学芸文庫から発売しているんですが一冊950円(税別)もするんですよ。210ページでしかもその内容のうち108ページしか本文じゃないし後全部訳注と翻訳者の解説ですから、読み終えた今考えてみると高い気がしますね。(マニアックだからそのくらい値段にしないと利益が上がらんのかもしれませんが)
内容の方は当時最高の聖職者にして聖法学者が(バクダットのニザーミーヤの教授)
頭が良すぎるから頭がおかしくなってその後とりあえず(ニザーム・ムルクの暗殺やマリクシャーの変死など政治上の理由やストレスで言語機能を一時的に喪失したりして)俗世と別れを告げ、10年近く各地を渡り歩きスーフィーに走りその後、二ザーム・ムルクの息子ファフル・ムルクの強い要請でニーシャープールの二ザーミーヤ学院で再度教鞭をとることになりその5年後死亡する人の自伝かなでも自伝と言っても普通の自伝では無くどちらかというと自分が何を勉強してきたか、または自分のスーフィーにたどり着くまでの思想を述べてる。そんな本でした。
それでこの本を読み終えたあと感想ですがアル・ガザーリーの凄さよりニザーム・ムルクの凄さを感じましたね。天文台(今も跡地が残っているそうです)や学校、図書館を作り数々の才能をペルシャ、アラブ中から集めてきてセルジューク朝のライバル、イスマーイール派と対抗しようとしていたんだなと、しかしこの1000年代から1200年代はアラブ、ペルシャが輝いていた時代ですね。宗派、ジャンル問わず、イブン・シーナ、ガザーリー、イブン・ルシュド、オマル・ハイヤーム、ハサン・バサーフなど他書ききれないくらいの才能がなぜこんなに固まったのか才能が才能を呼ぶのか(日本でも絵画で、狩野松栄の息子に永徳が生まれ孫に探幽が居たように、若しくは大分あとになりますが、円山応挙、与謝蕪村、池大雅、伊藤若冲が同時の時代に存在したように)ただの偶然なのか、時代的背景によるものなのか、それとも神のいたずらなのか、結局理由はわかりませんが、輝いていたことはたしかでしょう。
今まではそこの国の人と壁を作ってはいけないという方針で、柵とか壁などを作らなかったようだがこれからはどうするのだろうということで私なりに考えてみた
その1 上記したように国連事務所に柵や壁を作り警備員を配置する。周辺環境強化策と呼ぼう
その2 また死人が起こるようではいかんのでイラクから手を退いちゃおう案
その3 ガンジーの平和精神でこのまま現状維持案
その1の弱点は警備を強化するとイラクの国民と壁が出来るのが弱点でしょう。国連職員が亡くなる事が減っても、イラク国民と対話が出来なくなるといくら警備を強化してもテロは無くならないと言うのでは意味がありませんね。それに今回のテロも国民と国連の連携が上手くいっていなかったとも考えられので、火に油を注ぐ可能性もあり
その2は米英軍の占領が進んでしまうのが弱点ですね。イラク国民のためのイラクではなく米英のためのイラクになりますから是非ともストッパーとして国連に関与して欲しい、
手を引いちゃおう案は援助団体にも影響を与えるのも考えなくてはいけないんではないでしょうか。国連も手を退いたから私たちも手を退こうというのは必ず出てくると思います。そりゃそんなものはまったく気にせず活動するグループもいると思いますが必ず手を退くグループもいると思います。それとイラク国民にテロに国連は負けたと印象を持たれるのも損な点でしょう。
その3の弱点は理由は簡単です。テロが現状で起こったという事は第2弾も考えるわけで、
国連の強さと、意思の強さを示すには、イラク国民、テロリストにも伝わると思いますが、死人は減らんでしょうね。
で私の結論はその1とその2を併せた案でいくのが妥当ではないかと、バランスは非常に難しいと思いますがそこは腕の見せ所ではないでしょうか。
それと話が多少横道に逸れますが、首相が今回のテロのため自衛隊派遣を延期すると言っていますがそんなもん延期してどないするねんと言いたいですね。どっちみち派遣するなら人に一番役立つ時にしなくては、どっちみち派遣を決めた時点で死人がでるのは判っているんですから、何時に派遣しようと一緒でしょう。そんな人に役立たない派遣だったらそもそも人員を派遣しないで、金銭や物資、食料をど〜んとした方がマシでしょう。
その方がずっと役に立つとおもいますね。
本日の一言 誤りから救うものを読む前にアガサ・クリスティーのナイルに死すを読んでいたんですが途中でおっ放り出して本を読んだのでカール・ベスナーの登場の仕方が思い出せない。しかも他の登場人物は登場の仕方を覚えているのに、しょうがないので諦めて読んでいますが、どうもカール・ベスナーの印象が判らない。他の人物は判るのに、やはり、もう一度読み直すべきなのでしょうか。でも最後まで読んで事件に関係なかったらムカツクしな、一体どうしたらいいんでしょう。
以下は本の感想です
先日本屋に行って見るとアル・ガザーリー(1058〜1111年没)の誤りから救うもの、という本が売っていたんで、突発的に買ってしまったのだが、まず本が高い、ちくま学芸文庫から発売しているんですが一冊950円(税別)もするんですよ。210ページでしかもその内容のうち108ページしか本文じゃないし後全部訳注と翻訳者の解説ですから、読み終えた今考えてみると高い気がしますね。(マニアックだからそのくらい値段にしないと利益が上がらんのかもしれませんが)
内容の方は当時最高の聖職者にして聖法学者が(バクダットのニザーミーヤの教授)
頭が良すぎるから頭がおかしくなってその後とりあえず(ニザーム・ムルクの暗殺やマリクシャーの変死など政治上の理由やストレスで言語機能を一時的に喪失したりして)俗世と別れを告げ、10年近く各地を渡り歩きスーフィーに走りその後、二ザーム・ムルクの息子ファフル・ムルクの強い要請でニーシャープールの二ザーミーヤ学院で再度教鞭をとることになりその5年後死亡する人の自伝かなでも自伝と言っても普通の自伝では無くどちらかというと自分が何を勉強してきたか、または自分のスーフィーにたどり着くまでの思想を述べてる。そんな本でした。
それでこの本を読み終えたあと感想ですがアル・ガザーリーの凄さよりニザーム・ムルクの凄さを感じましたね。天文台(今も跡地が残っているそうです)や学校、図書館を作り数々の才能をペルシャ、アラブ中から集めてきてセルジューク朝のライバル、イスマーイール派と対抗しようとしていたんだなと、しかしこの1000年代から1200年代はアラブ、ペルシャが輝いていた時代ですね。宗派、ジャンル問わず、イブン・シーナ、ガザーリー、イブン・ルシュド、オマル・ハイヤーム、ハサン・バサーフなど他書ききれないくらいの才能がなぜこんなに固まったのか才能が才能を呼ぶのか(日本でも絵画で、狩野松栄の息子に永徳が生まれ孫に探幽が居たように、若しくは大分あとになりますが、円山応挙、与謝蕪村、池大雅、伊藤若冲が同時の時代に存在したように)ただの偶然なのか、時代的背景によるものなのか、それとも神のいたずらなのか、結局理由はわかりませんが、輝いていたことはたしかでしょう。
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