今日の日記

2003年8月10日
昨日妙心寺に狩野探幽の龍の天井絵(狩野法眼守信の名前で署名してありました。徳川幕府から貰った名前ですね)
を観に行ったんですが今年観た中では一番でしたね。
昨年観た時はその前に海北松友の雲竜図と圓山応挙の龍の屏風絵を観たのでどうしても前者と比較してしまいイマイチだなと思ったんですが今年は他の龍の絵を観てなかったので非常に良い絵だなと思いましたね。
この絵は観る時間と場所によってに非常に感想が変る絵ですね。色に関しては日が落ちてくるほど、鮮やかに見える絵です。(人間の目がバカだからだと思います)あと見る角度によっても色の見え方がガラッと変る絵です。
残念ながら月日が経っているので色褪せてしまっていますが出来た当時は非常に緑が鮮やかな絵だったんではないでしょうか。龍の胴体の一部にまだ剥げていない部分から想像すると完成当時の絵で観れないのが非常に残念です。
あとこの絵は龍が舞い降りてくるように描かれていますが、(そういう風に見えるのは龍が円を描くように配置されているのと雲の渦が絵の真ん中に描いてあるからではないでしょうか、海北松友の雲竜図もよく似た手法が使われていると思います)基本的に坊さんが配置されるところ以外からなら基本的に全部龍が舞い降りてくるように描かれていますね。見る場所によったら多少その効果が失われますがそれでも配置は考えて考えて配置したんでしょうね。どこに居ても龍が舞い降りてくるように、今はもう足元が危なくないようにライトをガンガン照らしていますが、私のまだ小さい頃はもっと暗かったのでこの龍の絵がぼやっと暗闇の中から龍が本当に舞い降りてくるように見えたと覚えています。
狩野探幽もそういう風に効果を狙ったんだと思うんですが現在のあのライトの明るさではもうそういう風に見えませんね。それが不満でしょうか、他は良かったですね。
話は少々横道にそれますが絵が上手な人はみんな自分のイメージした龍の絵を持っていますね。(他の物でもそうですが例えば福田平八郎の鮎の絵とかある時を境絵の感じがまったく違うものになっていますがでも鮎形そのものは変化してませんよね。あと伊藤若冲の描く鳥は三角形とか)
この狩野探幽、海北友松、圓山応挙と一昨年絵を見たとき思ったのですが、雲竜図と龍の天井絵は描き方が似てますね。あの雲渦から登場し龍が飛び出してくるような印象を与えるところが、(狩野派の技法なんでしょうか)同じ龍の絵でも昨年観た円山応挙の絵は確かに渦は使ってるんですが、浮かび上がるように見えるとでも言いましょうか、迫力があっても円山応挙の絵にしてはしつこくないサッパリした絵でしたね。虎でもそうですが昔は現物を見たことが無く聞いた噂や想像で書いていましたから、どれも独創的で画家の特徴が表れていて面白いです。話が支離滅裂状態なので纏めになりますが、想像の絵は面白いということで今日は勘弁してください。あと芸術と宗教若しくは時の政権とのタイアップは大切ということで(自分でもこの日記は纏まりが無いと言うことが判っているのでツッコミを入れないでください。)

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