今日の日記

2003年6月22日
円山応挙の絵を突発的に観たくなった為、どこで展示していると探すのが面倒なので実物ではないが確実観れる、図書館に画集を観に行くことにした。
画集を観ていたら1733年産まれで1795年没と書いてあるのだが(仮に250年ぐらい前が全盛期としましょう)普通250年前というと随分前の様な気がするのだが絵を観ていると250年がふとついこの間に描いた様な気がしてしょうがない。ふっと一息するあいだのようにも感じます池大雅と与謝蕪村の画集も観ましたがこの二人もそういう風に感じます。
250年も前の絵なら普通古さを感じるのですが私にとっては円山応挙の絵は何時観ても新たな物が見つけられる非常に新鮮な絵です。写実的な絵、応挙が実際に動物などを見て写生した絵、遠近法を取り入れた絵、中国の古画、清時代の花鳥画、それら3つを合体させた絵、合体が成功した絵、動物が写実的過ぎて風景と動物がバラバラ絵など、(話はずれますがその実験のせいか円山応挙の絵は個々は非常に素晴らしいと思うのですが全体的な纏まりが無いと思いますね。伊藤若冲はまったく逆で常に絵に調和がありますよね。世界観がバチッと出来てるとでも言いましょうか)上記した中には非常に観ていて疲れる絵もあるのですが、でもそれでも観たいと思えるそんな画家の1人です。(次に観るときは是非本物の絵を観たいですね。画集ではなくて)

唐突だがなぜ画聖と称されるのは雪舟なんだろう
?長谷川等伯ではダメなのだろうか、(年数だけで評価されるのなら十分)
狩野探幽ではダメなのだろうか、(権力との結びつきで評価されるなら十分)
円山応挙ではダメなのだろうか、(人の重みで評価するなら円山派開祖なのだから十分。後学ためにということなら葛飾北斎には及ばないかもしれないがそれでも十分)
葛飾北斎ではダメなのだろうか、(北斎は庶民相手の絵浮世絵など描いていたから権力との結びつきは不十分ですね。でも後学のためならば素晴らしい功績をしています。この中ではナンバー1)
伊藤若冲ではダメなのだろうか、(絵の強烈さで行くなら雪舟以上のインパクトがあると思う)
なぜ雪舟だけが画聖と呼ばれるのだろう。
雪舟の大半の絵が贋作だと呼ばれるのになぜ人は雪舟を画聖と呼びたがるのだろう。
(私は近代に入ってからの画商の陰謀に一票)

本日の一言  R・マドリードの勝利を祈って 

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