DTM+伊藤若冲

2003年5月12日
2、3日前からここ2〜3年観戦してるスポーツでまだ今年観てないのなんだったかと考えていたんですが、今日やっと思いだしました。それはそうDTM(ドイツ・ツーリングカーマスターズ)90年代初頭にに最盛期を迎えるが、後年マシン開発費に莫大な費用がかかるから、中止なったが3〜4年前からマシン開発費が莫大にならないように制限を付けてまた復活したあれですね。
メルセデスのシュナイダーはまだ元気にレースを走ってるんですかね。懐かしい名前だ
ヴィンケル・ホッグ、アイエロ(名前が違ってたらごめん記憶があやふやなもんで)も頑張ってるのかな。車のデザインが好きなオペルの成績は今期どうなんでしょ。
レースではやはり車をへし合い押し合いのぶつけ合いなのでしょうか?
もうそろそろ開幕している頃と思うのですが毎年放映してたWOWOWのテレビ欄に載らないと言う事は、
放送しないということでしょう。残念です
DTMじゃなくてもいいけど洗練された車同士のぶつかり合いが多い過激なレースが観たいですね。F1には無いラフさが好きだ。

昨日図書館に円山派下絵集という本を借りたんだがその本の前説の部分に江戸時代の画家年鑑みたいな本(平安人物誌)の引用があり筆頭が円山応挙、次に伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村とかビックネームがいろいろ書いてあるんだが、なぜその中で伊藤若冲の絵だけが後世にあまり伝わらなかったのか不思議だ。一晩私なりになぜ伝わらなかったのかというのを考えてみた。

その1 伊藤若冲の強烈な個性的な絵は江戸時代のあの時代にしか評価されず明治、大正、昭和などには絵画マニアや少数の伊藤若冲ファンにしか評価されなかった。(絵としては好き嫌いがある絵をだと思います。伊藤若冲の絵をみて凄いと思う人が多いと思うが好きかといわれるとまた別で、好きな人のほうが少ない絵だと思います)


その2 伊藤若冲は画家としては、遅くに描き始めているので他の画家と比べると作品数が少ない。(本格的に描き始めたのが30歳を超えてから)その作品の絵も描いて描いて描きまくるタイプ(失礼かもしれないが若い頃の絵は病的だとおもいますね)の画家だから一枚描くのに非常に時間が掛るために作品数が少ない
また彼が売り絵を書き始めたのが60歳を超えてからなのでさらに作品数を少なくしている。(理由はそれまで援助してくれていた実家の青物屋の経営が傾いたため彼を支援できなくなっため)

その3(その2からの続きですが) 伊藤若冲は絵を一般向けには描かれておらずお寺に描いていたり、(お寺に描いていたとしても住職の部屋やお偉いさんが来た時のための部屋に絵を描いている)したので絵があまり知られなかった。(またお寺に描いてる場合も寄付やお布施の形でが多いので一般向けに公開されなかった。)
60歳を超えてからの売り絵も販売先が、本当の裕福層向けにしか描いていないために没落などが少なく絵が売り出されるということが少なかった。
また江戸幕府崩壊後のドタバタしている時に宮内庁が絵を保有している相国寺など買い上げているためにさらに一般では残らなかった。そのあとも戦後まで宮内庁が一般公開しなかったのも理由かも。

その3まで書いてみたが、(他理由はたくさんあると思うが)個人的には宮内庁が持っていたから、絵が表に出なかったとというのが一番の理由だと思いますね。
戦争による焼失が少ないのもこの辺が理由かもしれませんね。その代わりに戦後かなりの数が海外に流出していますが。

本日の1言 R・マドリード首位陥落最悪、こうなったら今週のCLでは絶対勝って欲しいですね。

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